【 大野英章の“昼夜常精進”】

空手道場 白蓮会館(佐賀・福岡) ならびに 日蓮宗仙道山勝厳寺の活動日記。

仙道山勝嚴寺は、佐賀県にある日蓮宗の寺院。各種因縁・未来鑑定/加持・祈祷修法・お祓い・追善供養・水子供養/葬儀・納骨堂・墓地/宗教相談/妙法蓮華經/観心の本尊

国際空手拳法連盟 白蓮会館九州本部は、佐賀・福岡で活動する実戦空手道場。護身錬胆・健康増進・精神修養。ステップ指導で無理なく上達/各会員の目的に応じたクラス編成/新人戦・選手権への挑戦/子供達の礼儀の徹底と体力の向上。

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今年は盆棚經に初めて、甥っ子の晴喜に法衣を着せて、一緒に全檀家さんの御自宅に伺いました。
これまで全くお寺との縁がなかった19歳の少年に、いろいろ教えながら1週間ずっと行動を共にしたのは新鮮でなかなか有意義でした。

自分が得度したのが30年前。

30年前に、父にいろいろと教わりながら一緒に回ったことが思い出されると同時に、30年の時を経て、あの時とはまるっきり時代が違うことも痛感させられました。

書き出せばキリがありません。
感慨深いものもありますが、怖いものもあります。

移動中に晴喜が、意外な質問をしてきます。
え?そんな常識的なことも知らんの?いうことも多々ありましたが、そうか、現代の家庭事情の中で育ってきたのなら知るわけもないなと、もはや過去の常識は常識ではないと若者の純粋な視点に納得させられることもありました。



座布団がない家が増えました。
この30年で、日本の住宅もすっかり椅子の文化になり、畳に誰も座らなくなった。
畳に座らないどころか、畳のない家も増えました。少なくとも、この10年で新たに建てられた住居には和室がない。

檀家さんは、わたくし1人だと思って僧侶席を用意してたわけですから、今回いきなり晴喜を連れて回ったことで、皆様あわててもう1枚の座布団を出して、晴喜にどうぞ当ててください、とおっしゃる。
そこには、お客さまを座布団なしで迎え入れるわけにはいかない、直接畳に座らせるわけにはいかない、という思いがあるわけで、しかし、その考えも和室のある家で暮らしているから涵養されるわけで、もう少し時代が下ったら、僧侶が畳に直接座ってお経を上げても、誰も違和感を感じなくなってしまうのかもしれません。

別にわたくしは、これからも僧侶を丁寧にもてなせと言ってるわけではなく、この日本人の共通認識がまもなく消滅してしまいそうだなと寂しく感じているのです。

偉そうに書きましたが、わたくしだって僧侶をやっていなかったらおそらく知らなかったであろう日本の習慣、その土地ならではの風習というのは、書ききれぬほどたくさんあるのです。

ちなみに、1回座る場所を決めてから、その後から座布団を出されてそこに座り直すのは、足の痛みが蓄積してきている我々にとっては結構ストレスで、できればそのまま畳に座ったままでお願いしたいところではありますが、せっかく出されたわけですから、あらぁ!ありがとうございますぅ!と笑顔で座り直しております。




SNSで他のお寺の活動を拝見すると、コロナ禍のためでもありましょうが、僧侶が自宅に伺う棚經形式ではなく、それぞれが決められた日時に自宅の位牌をお寺に持ち寄って、ある程度の件数に一斉にお経を上げるかたちが結構ありました。
寺院規模にもよるでしょうし、そこそこの寺院の事情もあるでしょう。
伺うよりは待つ方が楽だし、なんなら勝嚴寺もそうしたい。

でも、ご自宅に伺うからこそ見える部分も少なくない。
いつもお寺にお参りなさる方のことなら、もちろんよく存じております。しかしその方にどんな家族がいるのか、その家族はお寺に来ないから我々もほとんど知らない。
でも自宅に伺うとそんな家族とも顔を合わせるのです。問題なく社会生活を送っている方もいらっしゃいますし、逆にさまざまな事情を抱えている方もいらっしゃる。

自宅に伺うと、その家庭のご家族の様子、経済事情、体調の問題など、直接話を伺わなくとも察せる部分があります。
学校の先生が家庭訪問をするのもおそらく同じ理由ではなかろうか。面談するだけなら親を順次学校に呼び出せば済む話ではあるが、それだけじゃわからないことが、自宅に伺うことで察せられる。

僧侶は檀信徒の布施を頂戴して、それで暮らしを立てていきます。
おそらく経済的に困った事情を抱えていらっしゃるだろうお宅であっても、
『今日は本当にありがとうございました!』
と我々に布施を包んでくださいます。

こんな苦しい状況であって、いったいどんな思いで財布からお札を出して、我々のために準備をなさったのかと思うと、そのお包みは心の底から畏れ多い。
単にお寺に上げられているお布施の袋を見ただけではわからない各家庭のご先祖に対する想いが、自宅に伺うことでダイレクトに心に届けられます。
我々も精進せずにはいられない。



そういえば、15日の送り火の夕暮れ時に、わたくしの携帯に1本の電話が。

『いま道場に見学に来てるんですけど、今日ってやってないんですか?』
※道場へのお問い合わせは、わたくしの携帯に転送される設定です。

入会の希望者ですからもちろんありがたいけども、同時に日本人の感覚もついにここまできたか、との衝撃も受けました。

申し訳ありません!今日はお盆でお休みいただいてまして、とかなんとか言いましたが、15日に営業している空手道場って国内にどれくらいあるのだろう。

『我々には盆も正月もない』
という言葉、もしくはそれと近い意味の言葉をちょくちょく目にします。

受験生や大会を控えたスポーツ選手に発破をかけるためには刺激的な言葉でしょうが、それが日常になってしまえば、もはやなんの効果もない。

文化の破壊が進行しています。

『我々には盆も正月もない』
じゃなくて、盆も正月も、日本人ならもう少し大切にしてほしい。

自国の誇りが失われています。

日本の伝統が、日本人の手によって、自ら破壊されつつあります。

ウチの道場では、夏季休業のことを
『夏休み』
ではなく、必ず
『お盆休み』
と表記するようにしています。

お盆の休みを利用して、できるだけ実家に帰ってください。
そして祖霊を偲ぶための時間を持ってください。
そのために、いつものように忙しい日々のままでは難しいから、道場を休みにしているのです。

それが、なぜ休むのかという精神は消滅し、ただ、休みだけが残った。
ただの休みだから、何をやっても良い。
旅行、買い物、リゾート、なにをやってももちろん個人の自由です。

でも、本来は、めったに会うことの叶わない親や兄弟と顔を合わせ、亡き先祖を偲ぶための休みなのです。
その精神だけは後世まで残していきたいと切に願います。

わたくしがどう考えようが全くどうでもいいことでしょうが、自分自身この件についてなんらかの気持ちの整理をしない限り、先に進めないような気がして、現時点で感じたことをまとめてみたいと思います。

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8日のお昼前、ちょうど勝嚴寺で鑑定相談を受けておりました。携帯に通知が届いて、ふと画面を見ると
安倍元首相、銃撃され意識不明、とあり、鑑定を中断して各種ニュースを読み漁りました。事実確認が遅れたのか、テレビでの報道はちょっと遅く、正午まではネットのみの情報でした。
その時の鑑定の依頼人様は、たまたま安倍元首相とお父様が懇意になさっていて、お父様の葬儀にも駆けつけてくださるほどのお付き合いだったとのことで、殊更に心配そうでした。

その後ほどなくして鑑定は終わりましたが、その日はこのニュースが気になって仕方がない。いろいろ仕事も溜まっていましたが、ずっと携帯を手にしながら新情報を待つだけの1日でした。

その瞬間の映像を観ました。
大袈裟ではなく、涙が出ました。
もう2度と見返すことなんてできません。

空手の年少部の稽古が始まる直前、ついにみんなの祈りも虚しく訃報が届きました。
その時の喪失感と言ったら例えようがない。

自民党を支持していたわけでもなく、まして直接の知り合いでもない人の訃報がこんなにも悲しいものなのか。
いろいろ評価はありましょうが、おそらくわたくし自身、安倍元首相のことが好きだったのでしょう。

稽古が終わり、帰宅してからというもの、ウチにはテレビがないので、ひたすらSNS等の投稿を読みます。特にTwitterにはさまざまな意見が飛び交ってました。
みんなから愛された人であり、同時にみんなから憎まれた人でもあった。納得いく意見もあるが、とてもじゃないが飲み込み切れないような意見もあります。

朝になり、何でもいいから何かしたいと思って塔婆を建てました。

この先、いろんな報道機関が追悼番組を作り、それを観た人が感想を語り合い、またネット上でいろんな意見が飛び交うことでしょう。そしていつしか安倍元首相は、時の人から歴史上の人物となり、それぞれの立場から功罪を論じられ、評価されていくのでしょう。

わたくしが22〜23歳の頃、イギリスのダイアナ妃が事故で亡くなり、当時白蓮会館総本部に通っていたイギリスの留学生が泣いていたことがあります。
直接の知り合いでもない人が亡くなったからって泣けるの?と多少の違和感を持ったことをぼんやり思い出しました。
その当時、亡くなったからといって泣いてくれる国民がいるような日本の政治家っているかな、と考えたものです。翻って当時のわたくしは、たとえどんな政治家が亡くなっても泣くことはなかろうと思って、そのイギリス人の反応が不思議でもあり、どこか羨ましくもありました。

あれから20年、時を経てわたくしの価値観も変わったのか、それとも加齢と共に単に涙脆くなったのか、ただただ今は安倍晋三元総理大臣の訃報に接し、喪失感に打ちひしがれております。
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マジで血だらけになりましたからね。

救急外来に朝4:00に駆け込みましたからね。

笑い事ではないですからね。

ネコって、虎の仲間ですからね。
いわば小さいトラなのです。
そう。わたくしはトラにやられたのです。
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一言で説明すると、寝室の隣の部屋で、野良猫とウチのネコが喧嘩してて、それで野良猫を捕まえようとして反撃を喰らったわけです。

窮鼠猫を噛む、じゃないですが、窮猫だって追い詰められたら人を噛む。

全て左手、親指、人差し指、小指、および腕の外側を噛まれました。
その時は必死に捕まえて、なんとか窓から出したのですが、あとから考えれば、単純に窓かドアを開けるだけで済んでた。
ただこの時は、わたくしだって飼い猫共を助けようと懸命だったのです。

戦いはわずか30秒くらいで終わりました。

毎秒一滴くらいの割合で血が床にしたたります。
とにかく洗面所で血を流しました。

その時、なんといいますか、わたくしは確かに言語の世界にはいなかった。
父が何事かと起きてきて、わたくしに質問してきますが、なんと言われたか覚えてません。
『フォー!フォー!フォー!』
と唸ってたような気がします。

まれに試合中に到達する、あの感覚です。
いや。それよりももうちょっとイっちゃってた。

いくら小動物とはいえ、わたくしに向かって渾身の殺意と、全身全霊の攻撃が来たわけですから、なんか、ほんと自分の奥深くに眠っていた原始的な野生が目を覚まして、わたくしの理性をしばらくの間、支配していたというか、なんかいつもの自分は異世界に追いやられていました。

しばらく傷口を水で流しながら時計を見ると2:00前です。配置薬を見ても包帯がない。仕方なく傷貼りテープを大量に消費しながら血を止めます。

そこからキッチンに移動して、コストコの洗剤が含まれてる厚手の紙ぞうきんみたいなので、洗面所の床を拭きます。それから廊下、階段を拭きながら、格闘した現場に到着した瞬間に吐き気!

その部屋の中からすさまじい獣臭がするのです。

よく見たら、あの野良猫め、小便、大便、毛を部屋中に撒き散らしてます。
わたくしだけでなく、まぁ彼の猫も命を懸けて戦ったのだ。

なんやかんや、傷の処置も含めて、後始末に1時間半くらいかかったような気がします。

しばらくしてだいたい綺麗になったところで寝ます。

しかし、痛い。
実に痛い。

だって、直接ホチキスを指に打たれたようなもんですよ。
傷口は大きくないけど、めちゃくちゃ痛い。

それと、しょせんカットバンです。
全然止血できてない。
白い布団が赤く染まります。
興奮もあり、起きてキッチンでいろいろ検索し始めました。

まず考えたのは『狂犬病』。
この頃、ウクライナから難民を受け入れる際にペットをどうするか問題というのがあって、我が国でもにわかに注目された狂犬病。それは猫でも感染する可能性があるのか調べました。

そしたらね、やはりバリバリ感染するんですって。
原因として犬の場合が多いからそんな名前が付けられているけれども、全ての哺乳類が保菌、感染するそうな。

しかも、一定の潜伏期間を経て、発症したら最後100%死ぬそうです。

絶対助からないそうです。

えーそんな恐ろしい病気なの!と愕然としました。
やはり調べて行くうちに、動物に噛まれたらとにかく病院に行くのは絶対みたいで、おそるおそる佐賀大学医学部附属病院の救急外来に電話しました。

『あのー。ネコに噛まれたんですけどー』

この状況を説明するのがどれほど恥ずかしかったか。


は?ネコに噛まれたくらいで大袈裟に救急外来かよ!と思われるのではないかとビビってましたが、いま外科的処置ができる医師がいないので、好生館(佐賀市内もう1ヶ所の救急外来がある病院)に連絡するように勧められました。

恐れていたのとは裏腹に、そちらでは優しい対応で
『それは大変でした。今すぐ来てください!』
とのこと。
時計を見たら4:00です。15分で着くとの旨を伝えて、クルマに乗ります。

しかし、時間が経つにつれ、アドレナリンの分泌量が下がってきたからか、もう左腕が猛烈に痛い。左手が痛過ぎて、シートベルトも閉められないし、ギアも変えられない。

いままで両手がそれぞれ分業していたタスクを全て右手でこなしながら、なんとか病院に到着。いろいろ手続きをしたあとに待合室、それから診察室へ。

それまでに何人もの医療従事者に
『あー。ネコちゃんに噛まれたんですねー』
と言われたのですが、自意識過剰なわたくしは、この言葉の裏には幾分かの侮蔑の感情があるのではないかと警戒心ありあり。

なんか、でっかい注射みたいなので、傷口に針の部分を突っ込まれ、
『はい!洗浄します』
と言われて、水(ちょっとお湯)をびゅーっと掛け流しされ
『だーーーーっ!いてーーー!』
と叫びます。

皆様も自分の事と思って想像してみてください。
ホチキスで指に穴を開けられ、2時間後にそこに注射針を突っ込まれてお湯を流し込まれたとしたら。

まー痛かったですね。

洗浄、消毒、そして傷口の保護、破傷風ワクチンの接種で今回の応急処置は終わり。
抗生物質を処方され、病院を出たのはすっかり明るくなった6:00。そこから処方薬局で薬を出してもらって帰宅したのが7:00前。

紹介状を出してもらったので、毎日必ず近くの病院で消毒とガーゼ交換してください、と言われましたが、あいにくその日は土曜日。一睡もしてなかったわたくしはそのまま痛み止めを飲んで眠ってしまい、起きたらもう正午でした。

現在、肘から先が全体的に痺れてます。

人に会うたび同じ説明を繰り返して、多少イヤななってますので、ここに詳細を記録しておきます。
次から
『どしたのその腕?』
と聞かれたらこのブログを読んでもらうようにします。
ちょっと空手も数日はできないかなぁ。(つづく)

先日、人生で初めて比叡山に行ってきました。
行程としては、佐賀駅発で、比叡山の最寄りの『比叡山坂本駅』まで往復。新幹線は博多から京都まで。
帰りは博多で降りるため、佐賀までの残り区間は乗り捨てるといったものでした。
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そこで、ちょっとしたアクシデントがあったのです。
行きは、比叡山坂本駅で降りて目的を済ませたのですが、少し離れた大津のホテルに宿泊。
そこは駅のど真ん前のホテルだったので、帰りはそのまま大津駅から乗ろうとしたら、これがなぜか乗れない。

到着時刻をきちんと考えての行程だったので、遅れたりはもうできない状況でした。

路線図をよくよく見ると、
大津駅は琵琶湖線。
比叡山坂本駅は湖西線。
京都駅の一駅手前の山科駅で分岐しているのです。

とりあえず、山科駅までの料金190円で切符を買って、あとは有人改札で事情を話せばなんとかなるだろうと走って乗り込みました。

とはいえ、とても不安でした。
もちろん京都駅の駅員さんは事情を話せば理解してくれるでしょう。
しかし、博多駅の駅員さんはどうだろう。
手元には、佐賀までの普通乗車券、博多までの新幹線特急券、190円のフツーの切符の3枚があります。
比叡山と駅名に冠しているから、滋賀県だということは理解してもらえるだろうが、大津駅と坂本駅の位置関係とかご存知だろうか。そこから190円で山科駅まで行けることとか理解してもらえるだろうか。

山科で一度降りて、そこから乗り直すことも考えましたが、次の飛行機の時間を考えればそれはできない。

不安を抱えながら最初の関門・京都駅の新幹線乗換口に着きました。

見るからに若いお兄ちゃんです。
22〜23歳くらいか。

『はい!どうされました?』

『えとですね、坂本までの往復だったんですけど、大津のホテルに泊まったんで、路線が違うくて、これでは入れなくて、だから、山科までの切符を、ほら、これ。買ったんですけどe.t.c.....』

まるで言い訳する小学生みたいに機関銃を撃ちまくるように、決して必要ではない情報までしゃべりまくりました。

やさしく微笑みながら聴いてくださった駅員さん
『なるほど。ご事情はわかりました』

『3枚とも改札機に入れてください。山科までの切符だけが回収されて、残り2枚が出てきます』

なんですと!!

こんな複雑でイレギュラーな事情を、ちゃんとこの機械は理解して、最善の手を打ってくれるのか!

『はい。正規の乗車方法ですから大丈夫ですよ』

果たして全ての切符を入れたら、ほんとに1枚だけ回収されて、2枚でてきた。

『うわ!ほんとだ!ありがとうございました!』

と言ってわたくしは去って行きましたとさ。

なんと言いますか、この自動改札機の進化にもビビりますが、出張の際に時折見かける、JRの職員の神対応?というか、知識の広さに驚かされます。

今回も、佐賀駅でのみどりの窓口で切符を買った際も、かなり若い女の子だったのですが、往復割引を使って購入し、復路の乗り捨てを提案してくれたりとか。

うーん。プロだ。

鉄道が好きでJRの職員になったのか、はたまたJRの職員になってから鉄道が好きになったのかわかりませんが、好きな仕事をやっている人にお願いするのは楽しい。

先にお断りしますが、わたくしは別に親ロシアではありません。
むしろ先の大戦を語れば、旧ソ連への怨みなんていくらでも出てきます(このブログでも以前、長々と2回書きました)。
わたくしは僧侶と同時に、空手を生業にしている武道家でもあり、自分の身に降りかかる災難をいかに払うかという方法、ひいては我が国の防衛の重要性を認識した上で、それと決して相容れぬ、佛弟子という立場に限定して申し上げます。


まずもって、佛教は『不殺生戒』を第一の重要徳目として掲げる教えであり、いかなる理由であっても、生き物の命を奪うという行為は許されません。
それは自分が直接手を下さずとも、人をして殺さしむる、つまり、誰かに殺すことを依頼しても罪は同じであるということです。

よって、佛弟子であれば、殺人が是となる戦争には何がなんでも反対しなければなりません。


実際問題、一旦始まった戦争が終わるには、侵攻側が初期の目的を達成するか、逆に、これは割りに合わないと撤兵するしかない。
初期の目的を達成するには、あまりにも犠牲者が多く出ますので、とにかくウクライナが屈強な抵抗をして、ロシアにこれ以上戦争を続けることを断念してもらうのがよい。
これが、現実的ではないかと思います。


かといって、佛弟子はウクライナを応援するわけにもいきません。

平和的解決とか言いながら、ウクライナへの資金援助をするなら、それはもう殺人です。
戦場で人が殺される。殺した人を非難する。その人殺しの武器はどこから持ってきたのか問い詰めれば、それは日本からもらったお金で買ったのだ。日本でウクライナへの資金援助を決めたのは誰なのか。その人を選んだ有権者は、ほら。わたしたちです。地球の裏側で誰かが殺された罪は、わたしたちひとりひとりにある。

ロシアへの経済制裁も殺人です。
大掛かりな経済制裁をすると、やっぱり誰か犠牲になるのです。ちょうど3月6日に、日本では現行の蔓延防止特別措置が、解除か延長か、地域によりそれぞれの判断が分かれました。
飲食店には補償がありますが、代行運転や酒屋など、飲食店周辺で経済活動をしていたその他の業者には何もない。これで事業を潰し、借金を抱え、自ら命を断つことを選んだ人がいるならば、それは間接的な殺人です。
同じように表には出ないが、その経済制裁は巡り巡って誰かを死に至らしめる。


ちょっと待ってよ。

そんなこと言ってたら何もできないじゃん。


そう。佛教徒は政治的に全く無力なのです。

佛教と政治は、そもそも相性が悪い。
厳密に佛の教えを遵守しながら政治家が国を運営すれば、その国は間違いなく衰退します。いや。間をおかずに滅ぶでしょう。だって、自衛のための戦闘すらできないのですから。

佛弟子ならば、この戦争をどう思うかと問われれば
『実に悲しい』
くらいのことを言うことしかできません。具体的な方法論を語ることは許されず、今の現状に涙を流すことしかできません。

この理屈で言えば、もし日本が攻めてこられたら、佛弟子は無抵抗で逃げるしかありません。

ただし、ほとんどの日本の佛教徒が『不飲酒戒』という第五の戒を守っていないのと同様、もし日本に他国が侵攻してきたらわたくしは戦います。その時は戒を捨てて銃を取ります。
わたくしは平素、空手をしておりますから、もし我が身に何かあればやはり戦います。いわゆる暴力を使います。現実的に生きていく上で、そこは妥協です。


宗教は常に理想を掲げなければならない。
一方、政治は常に妥協しなければならない。



現在、評価の方法は、どこも減点方式ばかりです。
営業成績など、数字にはっきり現れる一部の業態を除けば、評価を点数化するのは困難で、ある目安に対して、どれくらい離れずに(規則を破らずに)いたかを採点の基準にする。
減点方式は割と客観的に評価できますが、加点するとなると評価者の主観による部分が多くなるからです。

良い政治家とは何だろうか。

スキャンダルもなく、金銭にきれいで、非の打ちどころのない人を一般的に良い政治家と呼びます。

それは学校も一緒で、学習成績は別としても、日々の学校生活に於いて、問題行動のない子を高く評価せざるを得ません。

昨今の社会では、暴力こそ最悪の行為、という風潮があります。
暴力は、あらゆる罪の中で、最も減点しやすい項目だからです。

学校で長年、クラスメイトに容姿や出自をバカにされ、指を指して笑われ、常に仲間外れにされていた子供が、ある時、本当に許せない一言に、決死の覚悟の反撃を試みて、主犯者に殴りかかったとします。

そんないじめられっ子の決死の反撃すらも
『なんで叩いたの』
『どんなにくやしくても手を出したら負けよ』
『叩いたらあなたが悪いの』
と大人にコテンパンに責められ、それまで受けてきた長年のイジメ行為と完全に相殺、いやそれどころか、それ以上の減点評価を下されます。

無視した、笑われた、と言っても証拠はあいまいです。しかし殴られた、というのは誰の目にも明らかです。だから、他人が評価しやすい。

この子の決死の反撃は、それほどまでに悪でしょうか。
クラスメイトの陰湿なイジメは1発のパンチでなかったことになるのでしょうか。

たとえ1人の子供でも、殴るに至った背景はとても複雑です。
ましてこれが国同士ならなおのこと。

非の打ちどころのない政治家を立派な人と評価できるのは、平和な時に限ります。
戦争や疫病など、有事の際には政治家は必ず決断しなければなりません。決断するということは、採用しなかった選択肢の側にいる人を敵に回すという事です。彼らにとってその政治家は最悪な人物とみなされます。

政治とは必ず妥協しなければならない。宿命的に、永遠に100点は取れない。
宗教は理想です。宗教は常に100点の姿を提示し続ける。宗教が妥協してたら存在価値がない。


繰り返し述べますが、ウクライナ問題に関連する日本その他の決定を批判するわけではないですよ。

泥棒の妻は、夫が誰かに見つからぬよう表で見張るのが良いように、政治家は自国民の利益を最優先に考えるのが良い。軍人は目前の敵と戦うのが良い。

では、佛弟子は?

佛弟子は、この戦争を悲しみ、祈るのが良い。
佛弟子の立場でこの戦争の是非を語ってはならない。まして、どちらか一方の肩を持ってはならない、ということです。

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というコメントを↓のYouTube動画にいただいたので、この記事を書くことにしました。


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別にわたくしは、空手の型の大切さを説くほど、その効用をよくわかっていません。
ただ、型なんて無駄。自分でシャドーをやればよい、という意見には断固反対です。

ちなみにわたくし、道場でシャドーをやらせることがありません。どちらかというと、シャドー否定派です。
このシャドー否定派というのは、ことフルコンタクト空手に於いては、実際の動きとシャドーの間には大きな乖離があると思っているからやらないのです。

ボクシングやキックの場合、リードパンチひとつとっても、細かく注意事項が決められてて、それをカラダに馴染ませるために、シャドーが必要です。

実戦空手の場合、例えば左パンチにそれほど細かな約束事はなく、体格や好みに応じてある程度自由に打っていい。白蓮会館の打ち方だけが正しいわけではなく、他の道場には他のやり方がある。空手の場合、左パンチの打ち方なんて道場毎に千差万別です。

しかし、ボクシングジムならどうか。
Aジムでボクシングをやっていて、Bジムに移籍したことで、ジャブのフォーム矯正を一からさせられることなんてあるだろうか。
おそらく、野球の投球フォームとかと同じで、技術的にもう天井を突いてしまって、他に良い打ち方なんて存在しない。だからそれがブレないように、疲れていても、ダメージがあっても、いつでも同じフォームで打ち続けることができるように、フォーム固めをやらねばならない。
だからこそ、同じことの繰り返しが重要になります。

しかし、実戦空手はそれらとは比較にならないほど自由度が高い。自由度が高いと言えば聞こえはいいですが、悪い言い方をすれば細かいところは適当です。適当だからというか、自由度が高いからというか、コンビネーションも無限です。
無限だからこそ、今回はこれだけやってみろ、と敢えて限定することに意義が出てくると思うのです。


中川家が韓国人をネタにしたギャグをやります。
日本人からすると韓国語に聞こえますが、当たり前の話、これは本当の韓国語ではない。じっくり1分も聴いていると、同じ単語、同じフレーズを何度も繰り返しているのがわかります。

わたくしは僧侶ですから、若い頃なんか、なんかお経唱えてみてよ、などということを頼まれることがありました。だいたいお断りするのですが、坊さんのマネが得意なヤツってのがいて、それらしくモノマネして笑いを取ることができるのです。
しかし、そのモノマネも、おそらく1分は続かない。

自由にしゃべってみろ、と言われても、完全に修得してしまっていることしか出てこないのです。
中川家もおそらく知ってる韓国語は少し。その少しの語彙をゼスチャーを交えて面白く繰り返しているわけです。

ということは、シャドーを自由にやればいいなら、すでに今、なにも考えなくてもできることの繰り返しになると思います。
ウチはやらせませんが、他流派の子供達が大会会場でウォーミングアップとしてやってる光景をよく見ます。だいたい簡単なパンチとローの組み合わせ。
もちろん、準備運動のひとつとして、カラダを温めるためのものならその意義もありましょう。

しかし、これをいくら繰り返しても、選手としての今のフレームを大きく作り替えることは無理です。
だからこそ、審査の度に型を覚えなければならないなら、その都度、できないこと、知らないことにチャレンジしなければならない。それで技が増えていく。

これが、ボクシングやキックなら別です。
ある程度、最短距離で無駄を削ぎ落とした攻撃に特化していますから、ある程度上達して、基本が身に付いたら、あとはひたすらシャドーやっとけ、でも充分な効果があるでしょう。

白蓮会館の実戦型は、いわゆる古式の空手の型ではなく、現在の試合で使えるような代表的なコンビネーションを組み合わせたもので、手の高さ、足幅など、そこまで細かく規定されているものではありません。
ただ、白帯のうちに、スイッチや寄せ足を使って左の蹴りを出せるようになろう、右ローから左ハイのように対角線にコンビネーションを組み立てみよう、黒帯になる頃には、後ろ回し蹴りを2発連続で蹴ってもヨロヨロしない安定した下半身作ろう、といった、一種の技術修得の目安となるものだと思っています。

あけましておめでとうございます。
SNSの情報発信が多様化した今、なかなかブログの更新をしておりませんが、わたくしはこのブログこそホームタウンだと思っております。
せいぜい月1〜2回の更新しかしませんが、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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基本的に伝統を変えたがらないわたくしですが、年賀状だけは正直なくなってほしい。
ただでさえ忙しい年末年始に、莫大な時間を取られてしまいます。

パソコンはiMacですが、この住所録のデフォルトアプリ(連絡先)から、ダイレクトにハガキに印刷する良い方法がない。なんちゅーか、このへんの中身はアメリカ仕様です。

毎年いろいろ試しながら、ここ数年は郵便局が出している『はがきデザインキット』というものを使っていました、なんといっても発行元が日本郵便ですから安心。少しでも年賀状の販売部数を減らしたくない日本郵便のアプリには、年賀状に対する気遣いが溢れています。

しかし、Macの住所録からデータの移行ができなかった。

だからベタ打ちしましたよ。
思い出したくないくらい大変な作業でした。

これでもう大丈夫!と思っていたら、バージョン更新を1年怠っていたのと、iMac本体のバージョンが古いせいで、今年は使えず。
今年は、ではなく、今後も使えず。

また振り出しに戻りました。

それどころか、過去の住所録すら見られず。
年賀状が出せません。

仕方なく今年は、いただいた年賀状を入力して、いたたいた分だけお返事することにしました。
わたくしからの年賀状が届くのが遅かったのはそのせいです。申し訳ございません。

ちなみに、有料の住所録アプリ買いましたよ。
『宛名職人』。
どのサイト見てもオススメされてました。
6000円ちょいだったかな?
めっちゃラクです。
こんなにラクならもっと早く買えばよかったわい。

なんでそんなに面倒くさいのかといえば、
・そもそも年賀状の枚数が多い(1000枚くらい)
・相手により年賀状が違う(勝厳寺、あまね、白蓮会館)
とにかく仕分けがあるのが大変です。
あまねはスタッフが年賀状担当を決めてやってくれるので負担はなくなりましたが、勝厳寺で出すのか、白蓮会館で出すのかを分けて、2種類印刷する。それを宛名書きでも2回印刷する。
しかし宛名職人のアプリが手に入って、かなりラクになりました。

これでしばらく年賀状は気にならない。
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年賀状が気にならなくなってくると、今度はSNSが気になります。

某SNSで
『昨年は父が亡くなりましたので、新年のご挨拶は控えさせていただきました。皆様どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます』
というような内容の投稿をなさってる方がいらっしいました。

コメントが15くらい付いてたのですが、
『あけましておめでとうございます!
 今年もよろしくお願いします!』
『あけましておめでとうございます!
 素晴らしい一年になりますように』
って祝賀の言葉ばかり。

15のうち、2人くらいが
『今年もよろしくお願いします』
から書き始められていましたが、他の13人は本文を全く読んでない。
『昨年、父が亡くなり』
から本文がスタートしてるのにですよ。

この方だけじゃない。
3人くらいの方の、喪中なので失礼します、という投稿に、クラッカーでパーン!みたいな明るく楽しい絵文字を並べまくってお祝いの言葉を書き込む人が必ずおわすわけですよ。

年賀状文化が廃れ、年賀の挨拶を取り巻く背景配慮を理解せぬア◯どもが我が国にこれからどんどん増えてきて、やがて多数派を占めてくるようになるのかと思ったらゾッとしました。

早くなくなれ!と思っていましたが、やはりこれからも年賀状を書こう。
襲い来るグローバル化の波に少しでも抵抗しよう。
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まぁ、忙しいですな。

あまりにいろんなことがありすぎて、いったい何を書くべきかわからなくなっていますが、中でも最近ちょっと印象的だった出来事を少し紹介します。

松尾山のお会式が終わり、後片付けが大変でした。
少しでも手分けできればと、5分の1ほど勝嚴寺にてお預かりし、12月の月例施餓鬼會にて飾ってみました。
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正直、松尾山は広すぎる印象がありましたが、勝嚴寺くらいの末端寺院なら、少ない数でもかなり映えます。
このアイデアは、まさに岩永航河くんのご両親から。
施餓鬼当日も朝早くから数時間もセッティングしてくださいました。
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そういえば、先月末には正道会館・石井和義館長もわざわざ勝嚴寺まで御参拝に来てくださいました。
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本堂にて、正座・伏拝ののち、南無妙法蓮華經の題目を三遍お唱えなさいました。
日々の雑事に追われ、だれきっていたわたくしの暮らしに【 持戒 】という、仏弟子として極めて当たり前の概念に気づかせてくださった師であります。

光子さんにもプレゼントいただきました。
ありがとうございました。


さて、竹あかりです。
クリスマスにも小城竹あかりが点灯するとのことで、先日のお礼も言いたくて、貫首様と一緒に『ゆめぷらっと小城』にて作業中の高校生の様子を見に行きました。

そこはすでに光の国。
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10人くらいかなー?なんて軽く考えていましたら、なんと50人くらいいた。

竹あかり職人の先生のご指導の下、みんな熱心に説明に聞き入っています。
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明日(12月11日)から始まるとのことで、順番も着々と進んでいました。
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そこには岩永航河くんのお母様の姿も。
そして、ポスターの中央に、再び航河くん。
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このイベントも、航河くんがしっかり見守ってくれているに違いない。

それにしても、ただ並べただけでは竹あかりは語れない。実際の制作現場は知らないことばかり。
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竹を固定する台があって、その上で作業をやるらしい。
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紙が貼ってあって、なにやら数字が書いてあります。
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インパクトのドリルのサイズです。
固定台には、そのドリルを取り替えやすい工夫がされていて、取り替えながらこれで模様を作っていくみたいです。
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なるほど。こうやって作られていくのか。

沈む夕日の輝きの中で一生懸命に作業に取り組む彼らの姿に、再び涙が流れそうになります。

さて。その後は道場へ。
自分の指導日の稽古を後ろから見学しました。
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先日、おそらく筋断裂をやらかしまして、とてもじゃないが、今は指導すら無理。階段の登り下りも手すりを使ってなんとかというような状態です。
ただ、体感としては週明けくらいには普通に歩けそうかなと楽観視してます。

この日、道場の後ろで見学してた3人のオッサン。
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原田さんはローを効かされ、内山先生は足の小指の骨折、わたくしはふくらはぎ筋断裂という情けない3人です。

なぜ福岡道場の原田さんが佐賀にいるのかと言うと、明日熊本で行われる絆KIZUNA〜vol.2に陽太が出場するのですが、その送迎ができないため、我が家に陽太が前泊するのです。
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そしてセカンドを買って出た佐藤夢生介も一緒に泊まることに。
2人で仲良く布団のセッティング。
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お風呂も2人で一緒に入ったもんね。

ちなみにわたくしは小学校の高学年くらいが一番どーでもいい羞恥心が捨て切れず、友達と一緒に風呂とかイヤだった気がしますが、ウチに歴代泊まりに来た小学生はみんな一緒に入りますな。隔世の感があります(自分だけかも)。

というわけで、明日は陽太&ののかの試合のライブ配信もやります。
白蓮会館九州本部のYouTubeチャンネル
https://m.youtube.com/channel/UCkmk?noapp=1
みんなリアルタイムで応援よろしくお願い申し上げます。


追伸。

大野英章のYouTubeチャンネルもあります。
https://m.youtube.com/channel/UC90d?noapp=1

なお、あとちょっとでチャンネル登録者数が1000人になります。1000人を超えると携帯でライブ配信ができるようになるので、松尾への道中の生配信や、地鎮祭とか屋祓いなどの配信も可能になります。ぜひチャンネル登録をお願いします。



11月12日(金)例年とは少し趣の違う勝嚴寺ならびに松尾山の御会式が無事に終了しました。
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先にお伝えしたように、今年は松尾山の参道に竹灯籠が並びました。
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4日間、岩永航河くんのご家族を始めとする有志たちで頑張って並べました。

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この長い竹が相当重い。
4日間で合計、軽ワゴンで7台分もの竹灯籠を設置しました。

当日は心配された雨もなく、素晴らしい天気。
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やはり7kmも歩く道中が雨天だと本当に大変です。
ちなみに、わたくしが生まれてこの方、11月12日に雨が降ったことはありません。
なお、わたくしが第3回目の大荒行堂に入っている年に1度だけ雨が降ったそうです。

航河くんの遺骨も布に包んで、日蓮大聖人の真筆大曼荼羅御本尊と一緒に出発です。
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出発前に本堂を背に記念撮影。
スタート時点の行列の規模はこれくらいです。
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17:30出発。
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航河くんの遺骨を最初に首にかけたのはお父さん。

まだ空は明るいのですが、これが幻想的に少しずつ暗くなっていきます。
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普段、日没の時間帯は必ず道場で空手の指導をしているわたくしにとって、歩きながら見つめる11月12日の暮れゆく西の空の様子は、この上なく美しく感じられ、人生の貴重な映像として脳裏に焼き付けられています。
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スタートから約1時間。
クルマ通りを避けての行列なので、わりと家も少ないところばかりを歩きます。
勝嚴寺から約5km歩いて小城駅に着くと、たくさんの本佛寺様の万灯が出迎えてくれました。
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これは、人のいない田舎道を孤独に歩いてきた勝嚴寺御輿行列からすると、本当に感動するのです。
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そして、休憩地点である八頭司橘屋さんの前には、そう、200人を超えるくらいの小城高生が!
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ここから岩永くんの家族以外の友達が交代しながら遺骨を首にかけ、遺影を持って歩いて行きます。

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先頭を歩くのは日蓮宗佐賀県青年会の御上人方。
この力強い唱題太鼓の音に気分も高揚してきます。

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さらに、今年はこれに続く万灯の明かりがすごい。
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本佛寺・佐野前延僧正。
午前様みずから一緒に歩いて登詣されます。

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こちらは婦人部の皆様。
法要の前に和讃も奉納してくださいました。
先頭で太鼓を高く掲げているのは大奥様。
以前、佐渡にご一緒した時にその人となりを詳しく書いてます。
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西身延青年会のまとい。
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ウチもこれをやりたいんです!
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最後に航河くんの遺骨が、松島日應貫首猊下に手渡されます。
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そして、行列参加の皆様にねぎらいのお言葉。
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そう。夜の松尾山はこんな風に照らされていました。
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特に良かったのは、この菩提梯(階段)。
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航河くんもきっと喜んだくれたに違いない。

そして、引き続き本堂にて日蓮大聖人報恩會式が厳修されます。
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雅楽の荘厳な演奏の中、式衆の入堂。
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ちなみにわたくし、入院している父義敬に代わって、人生初、燕尾七条を着けて松尾山の脇導師席に(↑画面右端中央)。
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圧巻の大法要でした。

この様子はYouTubeにも上げてます。

https://youtu.be/CEI3eG4SUEY

なお、あとちょっとでチャンネル登録者数が1000人になります。1000人を超えると携帯でライブ配信ができるようになるので、松尾への道中の生配信や、地鎮祭とか屋祓いなどの配信も可能になります。ぜひチャンネル登録をお願いします。

それから、なんといっても本佛寺様のYouTubeチャンネルもぜひ。
めちゃくちゃ大変な準備をしての松尾山万灯行列だったことがわかります。

https://youtu.be/_O1Icz6r1Ow

どうぞよろしくお願い申し上げます。







10月末に父義敬が入院しまして、そろそろ1ヶ月が経ちます。

大丈夫です。全然たいしたことないです。

一言で説明すると、腸壁に裂け目ができてて、そこから便が漏れていたと。それで手術してそこを塞いだけども、腸自体の機能が低下してるのでストーマ(人工肛門)を付けた、というわけです。

むしろ将来的に長期に亘って介護する側からすると、オムツを交換する手間よりもストーマ交換の方がはるかに労力もかからず、却って良かったんじゃないかと思うようにしてます。

現在、佐賀市嘉瀬町の好生館に入院しています。
ご存知の通り、今の世の中面会制限があって、この1ヶ月で数回しか父と会ってません。

時折、ストーマ交換の研修に行きます。
退院後、そういうことは家族がやりますから、それの予行演習ですね。

これが正直なかなか面倒くさい。
正味、そんな大変なことではないのですが、2日に1度、ある程度決められた時間にやるというのが、日常の雑事に追われながらとなるとなかなか難しそうです。

大学時代、ちゃんこ鍋屋さん(1回生の頃)、中華料理屋さん(2回生の頃)でアルバイトをして、皿洗いをやってました。
毎日50〜100人分くらいの食器を洗うのですが、分量は多くとも仕事と思えば普通にこなす。
ところが自宅アパートの、たった自分ひとりの食器はシンクに重ねたまま洗わずに何日も放置してました。
他に皿がなくなって、どうしようもなくて、必要に迫られて、やっと洗う。
バイト先では毎日数十人分の食器を洗うのを面倒とは思わないのに、自宅の皿洗いは精神的にめちゃくちゃ面倒でした。

父のストーマもおそらくこんな感じになりそう。

これが仕事だと割り切れればチャキチャキとやれそうだけども、家族のこととなれば果たしてどう感じるだろう。
とりあえずは身障者手帳も下りるみたいで、2日に1度くらいの頻度でヘルパーさんが来てくれるそうで、わたくしが直接ストーマ交換をすることはそれほどなさそうですが、長い目で考えると、我が家もついに介護という長い旅路に就いたのだなと思わずにはいられません。


それにしても病院の入院患者用のあの着物は何なのだ。
人間をあそこまでみすぼらしく見せるアイテムは他になかろう。あれなら裸の方がまだマシではないかとすら思います。
昔の温泉旅館の寸足らずの浴衣のような、膝のあたりで終わる前合わせの着物です。どんなにカッコいい人でも、あれを着たらおしまいです。

近年、旅館の浴衣もかなりおしゃれになってきたし、病人の服もなんとかスタイリッシュに改善できないものか。
着てるだけで背筋が伸びて、元気が出るようなデザイン。売れる気がするけどな。
現実は逆にそうやって服で心まで病ませて、日を追うごとに一流の病人にしてしまうのだろう。


面会者も来ない入院生活はヒマに違いない。
父はとにかく地図、地形図みたいなのが好きで、それこそGoogleマップさえあればベッドの上で18時間連続で世界中を旅してるような人なのですが、いかんせんタブレットをうまく扱えない。
スマートフォンを渡してはいますが、通話以外使ってる感じでもありません。
タッチパネルの出現があと10年早かったらと悔やまれるばかりです。

一応、使う、使わないを別として、週末にでもタブレットを差し入れしてあげようかと考え中です。
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11月12日、初めて父のいない大祭を無事に終了することができました。
大海にひとり漕ぎ出したような心境です。
どうぞ皆様、勝嚴寺をよろしくお願い申し上げます。

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