いつまでできるかわかりませんが、お酒をやめてみようかと考えてます。

先日、正道会館甲斐道場の道場開き式典があって、光栄なことに、その法要の導師をわたくしが務めさせていただきました。
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その席で、とある来賓の方に、とにかく素晴らしい式典だったと過分に褒めていただいたのですが、
『お坊さんだから、もちろんお酒は飲んでないですよね?』
と訊かれ、返答に窮しました。


厳密に言うと、佛の弟子はお酒を飲んではならないのです。
僧侶とは、佛の弟子の中でも指導的立場にある者を指しますので、男性僧侶(比丘)は実に250の戒(決まり)を、女性僧侶(比丘尼)は300の戒を守らなければなりません。

わたくしは僧侶のくせに、その詳しい内容は知りません。
もし知ってても現代の日本社会では250の戒なんて守れません。わたくしだけではありません。誰1人守れません。

そのいくつかの例を挙げれば、托鉢(乞食)でしかものを食べてはいけないとか、地面の上で布団を使わず寝ろ、とか、所有物はお茶碗ひとつと服2枚に抑えろ、とか。
こんなレベルの決まりが250もあって、とてもじゃないが実践はできません。

おそらく日本中の僧侶全員に、250の戒の実践行動はありません。
だから本当はもっと反省しなければなりません。


僧侶じゃない普通の人は、とりあえずたった5つの戒を守れば良いのです。それが『五戒』です。

五戒とは、

1.不殺生(ふせっしょう)殺すなかれ
2.不偸盗(ふちゅうとう)盗むなかれ
3.不邪婬(ふじゃいん)不倫するなかれ
4.不妄語(ふもうご)嘘をつくなかれ
5.不飲酒(ふおんじゅ)酒を飲むなかれ

の5つです。

これなら簡単です。

しかしよくよく内容を吟味してみると、実はこれまた不可能なのです。

例えば1.の殺すなかれ、ですが、確かに人間を殺す人は極めて少数でしょうが、そんな法律みたいな意味ではない。
すべての命を殺してはならないから、当然ゴキブリも蚊もダメです。草むしりもダメです。

自分が直接手を下さずとも、それを他人にさせてもダメです。
だから皆様が生きていく上で誰かに料理をさせてそれを食べる、これもダメです。

じゃあ、死ねってか?

いや、自殺もダメです。
それはあなたという命を奪うことになるから、あなたには生きてもらわないといけない。

しかし、生きていくためには別の命の犠牲の上に自らの命を生きながらえていくしかない。絶対に両立はできません。

なんもできません。

そう。

できなくていいのです。

それが佛の教えです。

佛教は、自分が戒を破るたびに、自分がいかに無力であるかを知ることも目的のひとつなのです。
だから戒を授けられたら、そこから毎日大変です。今まで当たり前のようにやってたことが突然に罪になります。
そうやって、毎日戒を守れないことを懺悔しながら生きていくしかないのです。


佛勅は法律よりもはるかに厳しい。
法律は、まぁ普通にしてれば誰にだって守れます。
それにひきかえ、佛との約束ははっきり言ってどれも実践不可能なものばかり。


みっつ目の『不倫するなかれ』ですが、これも法律的な不倫を指してるわけではなく、手を出さずとも、頭の中でちょっといやらしいことを妄想するだけでもダメです。

果たして、こんな決まりを守れる男子がこの世に存在するのだろうかと思いますが、だからこそ極力、過ちが起きにくいように、比丘は女性のいるところに近寄ってはいけないし、髪の毛を剃ったりして、一切のおしゃれもしてはならないのです。

そして、その戒を破ったら再び懺悔です。
懺悔して、おのれの罪深さをイヤというほど思い知ることに意味があるのです。


しかし、現代の日本は、もはや『破戒』ではなく『無戒』の時代です。
『破戒』とは読んで字のごとく、戒を破ること。
『無戒』とは、はなから戒を持たないこと。

守ろうと努めて、結果戒を破るのではなく、どうせ守れないから最初から戒なんてあってもなくてもいいじゃん、という態度です。
だから懺悔もない。
懺悔がないから魂の向上がない。

だから勝嚴寺では授戒をします。
戒を持たないと精進がないからです。

釈尊在世の時代は、在家信者ですら五戒を守っていた。
そこで勝嚴寺では、五戒以外のところで、三毒と言われる3つの心の衝動、行動を慎もうではないかと、わたくしも含めて檀信徒の皆様と励行しているのですが、やはりそれでも実際のところ不可能です。

三毒とは

1.貪(とん)むさぼりの心
2.瞋(しん)怒りの心
3.痴(ち)正しい道を求めない心

です。これを慎むよう心掛けるわけです。

例えば一番わかりやすい『怒らない』だけをひとつ取ってみても、2日くらいならギリギリ実践できます。
しかし、1週間となれば絶望的に難しい。

しかし、それでも良いのです。
三歩あるいて二歩さがる、そんな気の長い旅路が佛道で、果てしない無上道の途中には、そんなこともあるさと思い直してまた歩くしかない。


で、その来賓の方に
『酒は飲んでないでしょうね?』
と尋ねられ、返事に困りました。


いや、実は普通に飲みます。
ただ言い訳させてもらうと、そんなに好きな方ではありません。
飲まないでも平気ですが、日々の暮らしの中では付き合いもありますし、その場の雰囲気を壊さない程度にたしなみます。
あと、よく珍しいお酒を頂戴することがあります。せっかくいただいたものですから、もちろん飲むようにしてます。

だから、わたしはお酒は飲みません、と断言はできません。
だいたい平均して週1〜2回は飲んでます。


そしたらその方から笑って言われました。
『お釈迦さまが五戒の中でお酒を禁止されているんだから、量が少ないとかじゃなく、一滴も飲んじゃダメでしょう。お坊さんなんだからお願いしますよ』。

イタいとこを突くなぁ。


現代日本で、酒は悪ではない。
だからみんな飲む。坊さんも飲む。

五戒を改めて見直してみると、
1.殺すなかれ
2.盗むなかれ
3.不倫するなかれ
4.嘘をつくなかれ
ですが、この1〜4までは自然悪で、言わばどこの国や地方でも、いつの時代でも、だいたい罪だとされるものばかりです。



ところが5.酒を飲むなかれ、とは何なのだ。

酒はほとんどの国や時代で合法です。

だからと言うわけか、日本の仏教界でも飲酒はなんとなく容認されていますけれども、釈尊が直々に、しかも200も300もある戒の中から、とっておき、減らしに減らして、たった5つまで厳選した戒の中に勝ち残って存在しているわけですよ。


これは何か意味があるに違いない。


そう思いながらわたくしは今までなんとなく酒を飲んできました。


そんなわたくし、その方に酒をやめろと強く勧められた。

えー?無理ですよー、と笑ってやり過ごしたら、後日、その方から電話がかかってきて、再び
『大野先生、お願いだから酒をやめてくださいね』
と重ねて言われた。


これはいずれかの諸天善神からのお言葉に違いない。



先ほど触れなかった五戒の中の
『嘘をつくな』
と言われても、これなんてもう絶対不可能です。約束守って、良くて数時間です。

『盗むな』
これはできそうですが、人の貴重な時間を奪ったとか、その他、他人の大事にしている形のないものを壊すことを全て盗みと定義されるなら、こちらもおそらく不可能です。


どれもこれも実行不可能な戒ばかりの中で


『酒を飲むな』。


よく考えたら、これだけが今日から死ぬまで実践できる、佛との唯一の約束なのではないか。


なるほど。

佛の説の如く修行すべし。

ようやく功徳甚多、初めてわたくしは佛との約束が守れるかもしれないと、今まで理念だけだった遠い世界が、にわかに臨場感を帯びてきました。



なーんてカッコつけたこと抜かしましたが、まだまだ今日で禁酒10日目。
わたくしが日本人男性の平均寿命を全うするまであと約40年あります。40年の旅路のまだ10日目です。それにしても長い旅に出てしまいました。
もしわたくしが酒を飲んでいるところを目撃なさったら遠慮なく、飲酒と嘘つきのふたつの罪で閻魔大王に通報してくだされ。




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