【 大野英章の“昼夜常精進”】

空手道場 白蓮会館(佐賀・福岡) ならびに 日蓮宗仙道山勝厳寺の活動日記。

仙道山勝嚴寺は、佐賀県にある日蓮宗の寺院。各種因縁・未来鑑定/加持・祈祷修法・お祓い・追善供養・水子供養/葬儀・納骨堂・墓地/宗教相談/妙法蓮華經/観心の本尊

国際空手拳法連盟 白蓮会館九州本部は、佐賀・福岡で活動する実戦空手道場。護身錬胆・健康増進・精神修養。ステップ指導で無理なく上達/各会員の目的に応じたクラス編成/新人戦・選手権への挑戦/子供達の礼儀の徹底と体力の向上。

2018年01月

日蓮宗宗務院に来ています。

昨日は朝一の飛行機に乗って、中山まで足を伸ばしてみました。
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今回、初体験をみっつ。


ひとつ目。
事務所に入らせてもらった。

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ここから見える風景はなにもかも新鮮。
扉を隔てた向こう側は結界です。興奮します。

たまたま事務所の中にこの方がいらっしゃって
『ちょい、上がっていけよ』
と誘われて、コーヒーまで出していただいて、なんとも言えない時間を過ごしました。


ふたつ目。

初めて遠壽院に入らせてもらった。
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遠壽院にはちょっとしたコンプレックスがあります。わたくしだけでなく、法華経寺行堂出身の修法師なら、みんな似たような想いを持っているのではなかろうか。

今年はわたくしと参行の同期だった福岡の林上人が、再行で入られています。ええ。どっちにも複数回入られているスーパーマンです。

面会してきました。

なるほど遠壽院ってこんな雰囲気なのか。
わたくしの曾祖父はここで修行したのだな。


その後、伝師部にて松島正英僧正と面会。
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聖教殿の前の大木に向かって大声で御題目を唱え続けられている男性がいらっしゃいました。
伝師部での面会が終わって外に出ても、まだお唱えなさっている。いったい何を祈ってらっしゃるのだろう。

今回、面会したのは松島伝師、参行加藤上人、初行小寺上人の佐賀管区の方のみ。たまたま面会所でお会いしたお上人も数人いらっしゃったが、御祈祷も途切れることなく続いており、あまり御修行を妨げるのもとお呼びしてお話しするのは遠慮しました。



みっつ目。

初めて菊寿司に入ってみた。

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そしたら、やっぱりいた。
奥の小上がり席に、明らかに偉そうなお上人様方が。

こういう時は入り口に一番近いカウンターに座れと何かの本に書いてあった。

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大将の話では、◯◯管区の宗務所長の◯◯上人だそうな。
へー!そうなんですか!と驚いてみせたものの、この業界に友達が少ないわたくし、さっぱりわかりません。

そんなこんなで今日は東京です。
次に中山に来るのはいつになるだろう。

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まず、こちらのニュースをご覧ください。

【速報】大阪地下鉄新会社の名前は「Osaka Metro」

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わたくしはこのニュース、かなり気に食わない。

記事にもありますが、この『大阪メトロ』は和文ではなく英文表記が正式です。

『Osaka Metro』のほうが世界に通じる名前だからとのことですが、例えばフランス人が世界的には英語の方が知られているから、というような理由でもともと存在したフランス語表記の名称を英語風に書き換えることをするでしょうか。

似たような例はたくさんあって、いちいち目くじらを立てるようなことではないのでしょうが、もともと慣れ親しんだ名称を英語に変更、しかもアルファベット表記が正式です、という発表に、へぇーそうですか、と抵抗なく国民が受け入れたことにわたくしは恐ろしさを感じております。

例えば、株式会社は日本語でなければならないという法律があり、エイチ・アイ・エスとか、どっからどうみてもこれはアルファベットでしょ、というような企業ですらも登記上はカタカナじゃなければならなかった。
それがある意味、日本文化の防波堤のような働きを持っていたと思うのですが、これが平成14年にアルファベットでも登記が可能になりました。確かにこれは時代の流れとして仕方ないことかも知れません。

ところが今回は、いち民間企業だけの問題ではなく、特に公共性の高い交通機関の正式名称がアルファベット表記なってしまいました。

通常、占領国は被占領国に戦勝国の言語を教え込み、そこから固有の文化を奪い、精神的に支配を強めていきます。
それなのに日本人は、自発的に自国語を捨て、各所に外来語の表記を増やしていく姿勢、殊に、公共性の強い交通機関の正式名称ですらカタカナどころか、アルファベット表記に変えられていく潮流に、ひとりでも多くの方に危機感を持ってほしいわけです。

2000年に開催された沖縄サミットのテーマ曲に、安室奈美恵の【 NEVER END 】が使われましたが、ご存知の通り、この曲には英語の歌詞がかなり混じってます。諸外国から見て、日本で行われる国際会議の象徴曲が、英語と日本語の混在歌詞であることをどのように感じられるでしょうか。所詮、日本国はアメリカ合衆国の制御下の傀儡国家だと思われたのではないでしょうか。

北朝鮮に対する中国の影響力の大きさは決して小さくはないでしょうが、仮に北朝鮮公式の歌があったとして、そこに歌詞に中国語の歌詞が混じることは絶対にない。そんなことをしてしまったら国際社会に中国と北朝鮮は主従関係にあるんですよと示すことになるからです。

世界各国を見渡してみて、その国の言語に日本語混じりの歌がどれほどあるでしょうね。
逆に、日本歌謡曲に英語の歌詞が混じっていない歌がどれほどあるでしょうね。
98%くらいは英語がまじってませんか?

これは誰の指示ですか?
誰も別に変だとも思わずに、
『英語カッコいい』
程度の認識で、積極的に英語に置き換えてませんか?
そういう意味でも日本はあからさまにアメリカと主従関係にあります。

現在のところアメリカ合衆国と我が国は同盟国です。ところが、どんな些細な出来事をきっかけとしてこの2国間の関係性が悪化するかわかりません。その時、この国の至る所が英語に置き換えられている状態の意味に気づかされるでしょうが、その時にはもはや手遅れなのです。

日本語を守ることは国防の基本中の基本です。中韓だけが敵ではありません。得体の知れぬ何者かに巧妙に自国文化をそれと気づかぬように奪われているこの状況を憂慮すべきではないでしょうか。


単語と概念(モノ)が同時に輸入されてきた場合までとやかく言うつもりもありませんし、あまりに日本語訳が長過ぎるとか、画数が多過ぎるなどの理由で不便なら、サラッとカタカナに変えて汎用性を高めることもやぶさかではありません。
例えば、パンもコーヒーも単語と同時に輸入されてきた。それをわざわざ翻訳というか造語して名付けることもなかろうし、システムとかメソッドとか、日本語ではその微妙な違いを表しにくい単語を明確に使い分けるために外来語のお世話になることは構わないと考えます。

そういう意味ではカタカナの功績は大きい。
カタカナのおかげで、それが一目で外来語と分かるように区別できるし、日本語の持つ論理性や最低限の秩序までも外来語になかなか侵食させない。

ところがアルファベットは、いくら日本人にお馴染みとはいえ、そもそも日本語ではない。

今回の大阪地下鉄のように、もはや地名といっても過言ではない固有名称をアルファベットにしてしまった。
もともと広く国民に慣れ親しまれた単語があるのに、安易にそれを捨て、完全なる外国語に置き換えたことに対して、微力ながらも反対意見を根気強く述べていかなければ、まさに病気のようにジワジワと日本を蝕んでいきそうだと強く懸念しております。

多様性を認めるということは、自国文化を否定することではなく、あちらも認めるし、こちらも認めてもらうことじゃないでしょうか。











お酒をやめて、そろそろ10ヶ月にさしかかります。

いや。お酒やめて良かったです。ほんとに。

良かったことはいろいろあります。
まず、お金が減らない。
代行運転も、タクシーも使わない。

それだけじゃない。
ただ単に食事するだけなら30分で済むところを、酒を注文すれば1時間になり、それに見合うようにおつまみその他をダラダラと注文する。

例えばラーメン屋に入ったとして、酒を飲まなければラーメンと替玉だけの料金しかかからない。わたくしは絶対に複数回の替玉をするので安くはないが、それでも1000円を超えることはない。

しかし、もしビールを頼むとギョーザも頼む。それからチャーシューの盛り合わせを頼む。さらにビールをもう1本頼む。最後にラーメンを頼む。
そうこうして3500円程度の売り上げに貢献する。

そういうことがなくなったわけです。

いくらラーメン屋でも酒を飲むと3500円。
食事だけだと700円。

これが続くわけですから、以前ほどカネが減らない。


それから、これが何より大切なのですが、酒をやめたことで宗教的な自覚が持てました。
仏教者として、時代を超えて、地域を超えて、
『わたくしはお酒を飲みません』
と、いつでもどこでも胸を張れる。
この 『いつでもどこでも』 というのはなかなかのもので、閻魔法王の御前にても
『へい!あちきし遅まきながらよわい44で酒はやめちまったでさ』
と胸を張れる自信を持てたということです。


さて。 酒を飲むのはそんなに悪なのか。

悪なのです。
仏教的には。


釈尊は弟子に授戒をなさった。
出家者には250もの戒(約束)が授けられます。
釈尊とのあいだに交わされた約束の数が250もあるのです。

しかし、以前このブログでも紹介しましたが、これらの約束はとてもじゃないが守りきれない。
だから数を減らしてもらいます。
二百五十戒から十戒、八戒、そして五戒。

これ以上はもう減らせないよ、というのが五戒です。
だから、仏教の実践者は、少なくともこの五戒だけはまもらなければならない。

五戒とは

1.不殺生(ふせっしょう)殺すなかれ
2.不偸盗(ふちゅうとう)盗むなかれ
3.不邪婬(ふじゃいん)不倫するなかれ
4.不妄語(ふもうご)嘘をつくなかれ
5.不飲酒(ふおんじゅ)酒を飲むなかれ

の5つの約束です。

各方面から研究され尽くした感もありますが、なぜこのとっておきの5つの約束の中に、酒は飲まないでね、という毛色の違う戒律が含まれているのだろうか。

命あるものを殺すな、とか、人のモノを盗むなといった1〜4までの戒は、だいたい全世界でダメだとされてることばかり。

ところが、それらの罪と飲酒の罪は同格です。
そんなにまで飲酒は罪深いことなのか。

わたくしの感覚で、中学生の時に生活指導の先生にバレて、よりこっぴどく怒られる順番をつけるなら、もちろん殺人がマックスでしょうが

集団暴力>万引き>タバコ>不純異性交遊>>>>>>>>飲酒、ウソつき

こんな感じでしょうか。

学校の先生も、タバコに比べ、正月のお屠蘇などもあるからか、子供の飲酒には割と寛大だったような気がします。

ところが釈尊は飲酒に厳しい。
『調達破僧罪』 (提婆達多が教団の秩序を壊した罪)と、酒に水を足して薄めて売った罪と同等ですからね。


ところで、酒を飲む罪と、酒に水を入れて薄めて不当に利益を得る罪と、これだけを比べたらどっちが重いのだろう。

これが法華経陀羅尼品に出てくるということは、ひょっとすると仏滅後200年経った頃の大乗教団の内部では、飲酒がある程度容認されていたのではなかろうか。
それとも教団内で禁制品を扱うのみならず、さらに詐欺的手法で売るというダブルの罪で破僧罪に匹敵すると言われているのだろうか。
まぁたしかに、不飲酒戒のグループ内で薄めた酒を仲間に不当な価格で売りさばく奴なんざ最悪の最悪。しかも間違いなく破僧罪。


話は戻りますが、なぜ釈尊は戒律の重要度ランキングのトップ5に、250もの戒の中からわざわざ不飲酒戒を入れたのかわからない。

日本では一般的に神様にお酒を奉納します。
ひょっとして、あれは神のみ許される飲み物なのか。
人間ごときが飲んではいけないのだろうか。
しかし、焼酎やウォッカなどの蒸留酒を神様には上げない。
ということは、お米から作る醸造酒に意味があるのだろうか。 釈尊在世のインドで、米から酒を作る文化があったのだろうか。

おそらく釈尊は蒸留酒だろうが醸造酒だろうが禁止なさっただろう。
日蓮宗のお寺では護法の諸天善神にお酒を奉納しますが、そもそも他宗で本堂にお酒を奉納する習慣があるのだろうか。
あれほど釈尊がダメだとおっしゃっているものを御宝前に上げてもよいものなのだろうか。 もしかして御宝前にえっちな本を奉納するくらい無礼なことをしていないだろうか。

経典には 『酒を飲むと地獄で 〜や、〜のような罰を受ける』 との記述はあれども、なぜ飲酒を禁止しているのかの理由は書いてない。
浅学なので、もしどちらかの経典に記述があれば教えてください。

とはいえ、ほとんど酒を飲みたいとは思わなくなったわたくし。
忘年会の時に、皆様、珍しいお酒を持ち寄ってこられます。
その時に味見できないのが寂しいくらいでしょうか。


次はいよいよ、肉食をやめる番だなぁ。

年が明けて早1週間以上が経ちましたが、改めてあけましておめでとうございます。

それにしても、なんでこんなに忙しいのだろう。

この年末年始は本当に忙しかった。
白蓮会館九州本部各道場の大掃除の日、前の日の忘年会の時に嘔吐物を素手で処理したからか、朝からえらく関節が痛むし、唾を飲み込んでも痛い。不思議と熱だけはなかったものの、それ以外の全ての代表的な風邪の症状が現れ、ゆっくり休みたいけれども道場の大掃除です。自分に鞭打ち頑張りました。

翌日、ダウンしました。
丸一日寝てました。

その後、寝ていた分を取り返すべく睡眠時間を削って大稼働。無事に年越しの水行から新春祝祷会を奉行することができました(その時の詳しい様子は嫁ブログ参照)。

今年は年賀状に取り掛かるのが早かったから良かった。これを年が変わる直前まで持ち越していたら終わっていた。

年賀状と言えば、ハガキは値上がりしたのに年賀状は据え置きらしいですな。
今日以降に出す年賀状には10円切手を貼らなければいかんらしい。もし貼らずに出したら相手に請求が行くんだとか。

元日に届いた分の年賀状は処理しましたが、2日以降に暇がなくて、残りは明日やる予定です。なので10円切手が大量に必要です。


土曜日はいーはとーぶ空手に、夜は月例施餓鬼、日曜日は妙法寺の大黒祭(なんと朝6時半から)、月曜祝日には、午前中妙福寺の大黒祭、午後から勝嚴寺の星祭および大黒尊天像沐浴式というハードスケジュールでした。

妙法寺では、急遽空手の演武の依頼があり、佐賀道場のエース達が駆けつけてくれました。
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内陣の高いところで、しかも観客の注目度の高い中で、さらにいつもより高い難易度の試し割りに挑戦して、いつもとはちょっと違う、緊張感のある演武だったかなと思います。
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他の出演者達にも決して劣らぬ堂々とした演武でした。
協力してくれた道場生ならびに御父兄の皆様、ありがとうございました!
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土曜日の施餓鬼で三方にお供えした一対の野菜と果物が、ほぼパーフェクトな状態で御宝前にある。
しかし、1度餓鬼に施したものを諸天善神に奉納するわけにはいかない。
全く同じものを翌日に買い出しに行って、みまがうほど全く同じものを作り直すというテンションの上がらない仕事をこなしながらの本日の星祭。
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一般の水行挑戦者は2人。
嬉野から、ありとあらゆる神事、仏事に参詣なさる池田さん(4回目)といーはとーぶのスタッフの光くん(2回目)です。
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修法のお手伝いをしてくださったのは再行の仲間である、江北町妙善寺の前田智憲上人と、佐賀市嘉瀬町妙福寺の渕上泰之上人。
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大黒天をお祀りするということは、単に大黒天の形をした人形を拝むことではなく、この現代社会の中で、自分自身が大黒天の役割を担って生きていくということ。

平成30年、愚痴をこぼさず、常に笑顔で、思いやりを行動の軸として走っていきます。
皆様、どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。



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