9363fde2.jpg7月2日 日曜日
壬辰(みずのえ・たつ)八白土星
五黄殺:南西の方
暗剣殺:北東の方
日破:西北西
雑節:半夏生



おととい、神埼のセブン・ワークス、いやT・ワークスでオイル交換をしました。

福岡から神埼に向かう背振の山あいの道中で、ついに今年初!セミの声を聞いてしまいました。


夏が来やがった…。



あまりブログに暗い話題は載せたくないのですが、最近ほんとうに身近な方の不幸が続きます。

わずか2週間で、わたくしにとって非常に縁の深い方が4人も亡くなりました。

しかもこの4人はみんな歳が若く、死因が病気ではありません。

ごく最近なにかの本で、どんな死に方でもそれがその人の天寿だと書かれてあったのを読みました。

もちろんすべて天寿なのでしょう。

ただ、本人も、周りの人も、この日この時に死ぬという覚悟ができていないのは悲しい。

自分自身の死期をある程度悟ってから臨終を迎えるのと、不意に停電でテレビの画面が消えるように最期が来るのでは、どちらが悔いが残るか。

選べるものなら、言うまでもなく前者を願います。

宗祖日蓮大聖人御妙判は妙法尼御前御返事に示して曰わく
夫れ以んみれば、日蓮幼少の時より佛法を学び候いしが、念願すらく、人の寿命は無常なり。出ずる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、なお喩えにあらず。賢きもはかなきも老たるも若きも定めなき習いなり。されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし。


日蓮門徒なら聞き慣れた御遺文です。

しかし悲しいことに、他人の不幸などの強い衝撃に触れないと、なかなか真の意味までかみしめないものです。

現代では『習う』という言葉は、他人に教えてもらう、という意味で使われることがほとんどですが『自習』という熟語が示す通り、本来の漢語的用法は、自分で探究する・思索に耽る、といった意味だそうです。



ということは
まず死ぬべき時のことを念頭に置いて常に忘れず、他のことに気を巡らせるのはそれからである、といったところでしょうか。


セミを短命の故に哀れと思うのは人間の物差し。
セミはこの世で何をすべきか充分承知して生まれ、そして事を成して死ぬのかもしれません。


先ず臨終の事を習て
後に他事を習ふべし。


急に死んでも恥ずかしくないように、部屋の中でも掃除しょっかなぁ。

レベルの低い覚悟から始めます。

   平成18年 初夏