4c5ffe49.jpg7月28日 金曜日
戊午(つちのえ・うま)九紫火星
五黄殺:北の方
暗剣殺:南の方
日破:真北



銀天夜市!!!




この言葉には、佐賀に育ったわれわれ世代の胸を熱くさせるパワーがあります。


…銀天夜市。

その昔、夏休みの土曜日の夜、佐賀の中心部の商店街は、通常の営業時間を大幅に延長し、まさに歩行者天国と呼ぶにふさわしい、実に賑やかな様相を夜遅くまで呈していました。

各商店は、自分の店の前にさらに露店を出したりと、毎週土曜日の夜はアーケード街すべての店舗が大売り出しでした。

ちなみに銀天夜市の『銀天』という言葉は、アーケードの天井の色から来ています。

色とりどりの売り出しの札、ちょうちんの灯り、楽しげな音楽。


当然人も集まります。

記憶では、ぼやっと何かに見とれたりして親の手をうっかり離したりすると、そのまま一発で迷子になってしまうぐらいのたいへんな人出だったと思います。

『今日ごはん食べたら銀天夜市に行くけんね』

…ほんと、もう、どれだけ嬉しかったことか!


今は、巷に24時間営業のコンビニ、スーパー、ファミレスをはじめとして、深夜まで開いているラーメン屋、うどん屋、ハンバーガーショップなど、いくら佐賀が田舎とはいえ、夜中でも明るい場所はいくらでもあります。
でも、つい、ひと昔前までは、店というものはだいたい6時頃に閉まるものでした。

そんな中、銀天夜市は夜遅くに買い物ができるという非日常の異空間でした。



ある日、
『徳万(久保田町にある地名)にセ〇ンイレブンのできたてっばい!』
というとんでもないニュースが入ってきました。
なんと朝の7時から夜の11時まで買い物ができる!

なんと!

人間が起きて活動しているほとんど全ての時間帯で営業しているなんて!!!

しがも、化粧品や雑誌から卵・醤油まで、日用品はだいたい何でも揃っているって!

なんと…!

そんなすごい店がウチの近所にできたんだそうな。


…そりゃ珍しか。

…んーなぃ行ってみゅーか。


われわれ大野家は夕食後に、わざわざ遅い時間になるのを待って、両親と兄と4人でクルマに乗って徳万まで出掛けました。
しかし、遅い時間に買い物に行く、その行動そのものが目的ですから、とりたてて買いたいものがあったわけではありません。
結局われわれは味の素の小瓶をひとつだけ買って帰路につきました。

もう夜10時を過ぎてるのに、買い物ができるということがみんなとにかく可笑しくて、ウチに帰っても、家族はしばらくコンビニ(←ちなみに当時まだこのような呼称すら存在しない)の話でもちきり。

しがもコンビニは、土曜日の夜だけとか、夏期に限定、とかではないのです。
この営業形態が毎日続くのです。


しだいに、銀天夜市に行く頻度が減ってきました。

それは、大野家に限ったこととばかり思っていたら、他の家庭でもほぼ時期を同じくして、土曜の夜に家族揃って銀天夜市に出掛けることが少なくなったみたいです。



そんなこんなで、わたくしもいつの間にか大学生。

佐賀を離れて暮らすこと7年。

佐賀に帰ってきてみると、アーケードの真ん中にエスプラッツという高層商業施設が出来ていました。
しかし、アーケードに来るお客さんの動線を分断したことで、帰って集客力は低下。

ちょうどその頃、モータリゼイションの進んだ日本に、郊外型大規模店舗というものが一斉に出現しました。



栄華を誇った佐賀の中心部・白山商店街は、今や激しい空洞化で、往年の華やかさを偲ぶ面影はほとんどありません。
(つづく)