110c0cd2.jpg4月16日 月曜日
庚辰(かのえ・たつ)二黒土星
五黄殺:北東の方
暗剣殺:南西の方
日破:西北西
旧暦:(小)2月29日





本人にとっては重大事なのに、その感動を思うように他人と共有できないものがあります。



代表的なものとして、昨晩あまり睡眠時間を確保できなかった時。


朝、いつも以上に寝ていたい自分にうち克ち、寝不足を我慢して出勤、そのことを同僚にこぼしてみます。

『ちょっと聞いてくれる?実はオレ、昨日2時間も寝てないんだよね…』
『へぇ〜大変だったね。でさ、今日の午後の〇〇の打ち合わせなんだけど…』

などと、いかに自分が今朝つらい寝起きをくぐり抜けて会社に来たのかとか、今でも寝不足のせいでカラダがフラフラしていることとか、もっと一緒になって感動してほしいのに、他人からはこちらが期待するほどのリアクションをいただけない。


交通法規違反で警察に切符を切られた時もそうです。


『がばぃむかつく〜!昨日警察に20劵ーバーで止められて、¥16,000払うてきたばい!』
『へぇ〜そりゃあ大変やったねぇ。場所はどこ?』
『国道〇〇号線の□□橋を下りたとこ。』
『ふーん。じゃそこ通る時は気をつけようっと。』


良くて、これくらいの反応です。

自分としては、普段はそんな飛ばさないのに、たまたま偶然が重なって急いでいて、そこにたまたま警察が検問していて、いかに自分の運が悪かったかとかを聞いてほしいのに、そこは薄っぺらな相づちだけでとんとんと会話が流され、さらに、罰金を払うことと引き換えに得ることのできた、貴重な検問情報だけをウマウマと持っていかれて、かえって損した気分になります。



以上、前置きです。

要するに、他人とは思いのほか感動を共有してくれないという比喩説でした。

このことは喜びという感動にも当てはまります。

何が言いたいのかと申しますと、わたくし携帯電話の機種変更をしたのです!





………。





ほらね?


誰も一緒になって喜んでくれない。

読者の皆様にとってはどーでもいいことでしょうが、わたくしにとっては嬉しくてたまらない出来事なのです。

皆様がわたくしの携帯に興味をお持ちでないことは重々承知ですが、新しい携帯電話について、もうしばらくお話します。
今回わたくしが手にしたのは、以前使っていた日立製作所の後継機(W51H)で、一年半の間に3回モデルチェンジをしています。

同じメーカーだから、使い勝手はさほど変わるまいと思いきや、さして使いやすくもない。

まぁ、習慣の問題でしょうよ。

価格は、ポイントを使ったので¥3,460でした。


例のごとく、兄と一緒にauショップに行きました。
わたくしが手続き中、ヒマを持て余す兄は、やはり携帯いじり。

兄の携帯は、年末に発売されたソニーのワンセグの、あの、割と世間を騒がせたタイプ(写真)のものです。
それをスタッフが目ざとく見つけ、
『それはいつお買い上げでしたか?』
と訊いてきます。

『発売を待って買いました。』
『じゃあ一番高い時に買われたんですね。』
『そうですね。あの時は2万いや、3万以上しましたねぇ。ちなみに今いくらになってます?』
『どれぐらいの期間ご利用されました?』
『いや機種変ではなく、新規だったんですけど。』


『………。



新規でございますか。

…申し訳ございません。
新規のお客様は、この機種に関しましては、おとといから「無料」になりました。』




兄、絶句…!



帰り道、兄は、わずか数ヶ月で無料になった自分の携帯を嘆き、かたやわたくしは、機種変更で新しくなった我が携帯を喜ぶという、自分以外の人の気持ちを思いやるかけらもない空間になっていました。

慈悲の『悲』とは、つらい目に遭っている人と同じ気持ちになって、一緒に泣いてあげることです。
大野兄弟はお互いにもう少し慈悲が必要ですね。