e79e11b5.jpg5月1日 火曜日
乙未(きのと・ひつじ)八白土星
五黄殺:南西の方
暗剣殺:北東の方
日破:北北西
旧暦:(大)3月14日
雑節:〇望月
   八十八夜


佐賀新聞2007年4月19日 社会面

『福岡加奈子さん(ふくおか・かなこ
=福岡加奈子バレエ研究所代表
現代舞踊協会会員
本名岩村節子=いわむら・せつこ)。
18日午前5時10分、悪性繊維性組織球腫のため、佐賀市内の病院で死去、52歳。
自宅は佐賀市。葬儀は20日午後1時から佐賀市鍋島町八戸3064の1、村岡マインドホールで。喪主は夫の岩村雅之さん。

5歳からバレエを始め、1984年から創作バレエを発表。85年にバレエ研究所開設。2005年度県芸術文化賞を受賞。』



佐賀新聞2007年4月20日 コラム

『バレエダンサーにとって体ほど大切なものはない。佐賀市でバレエ研究所を主宰する福岡加奈子さんは六年前、悪性腫瘍のため、左腕を切らざるを得なかった。引退を考えて当然だが、あきらめなかった。リハビリを重ね、舞台にも復帰した◆

長袖が二の腕から垂れ下がる。生徒は先生に合わせて動く。「私はまっすぐ伸ばしているつもりなのに、生徒は左手のひじを下に曲げて演技しているのよ」と笑った。もともと性格は明るい。笑い話にできる余裕が出てよかったと思っていたが、病魔は容赦なかった◆

昨年一月、腫瘍が再発した。一時、兵庫県の粒子線医療センターで治療した。腫瘍は消えたと安心したら、別の場所に現れた。転移は体全体、二十カ所にも及んだ。足を切断することだけは最後まで拒んだ。舞台で再びジャンプすることを夢見ながら、五十二年の短い生涯を閉じた◆

五歳から杉町バレエの杉町美千枝さんに学んだ。福岡大学の薬学部を卒業、薬剤師の資格を得たものの、バレエへの情熱を抑えきれなかった。東京の橘バレエ、牧阿佐美バレエ団での研修を経て、二十九歳で「加奈子と仲間たち」の舞台公演をスタートした◆

福岡や熊本の仲間にも呼びかけ、モダンダンスやジャズダンスを組み合わせた斬新な舞台をつくりあげた。その後も創作子どもバレエ「WISDOMってなあに」の公演や吉野ヶ里で「卑弥呼」を踊るなど、実験的な舞台を重ねてきた◆

福岡さんが子どもたちに伝えたかったのは、自己を表現することの大切さだ。「もじもじしてたら、田舎者ってばかにされるわよ」とけいこ場で大きな声が飛ぶこともあった。三十日に佐賀市である第十回研究所発表会で、生徒たちは福岡さんの遺志を継いで踊る。』


観てきました。




ちょうどMarikoさんに誘われたのですが、この新聞記事を読んで、いずれにせよこちらから誘ってみようと考えていましたので、一緒に行ってきました。。


最前列のど真ん中。
近すぎるぐらい近い席で、表情もはっきり見て取れます。


細かいことは置いといて、とにかく、足を運んで良かったと心から思います。

福岡加奈子さんの知人で、葬儀に参列できなかったとある方が、後日、福岡さんの訃報に接し、
『まぁでも、あの人ならすぐ生まれ変わるからだいじょうぶだ』
とおっしゃったそうです。



福岡加奈子さんのご冥福と、バレエ研究所の一層の飛躍を謹んでお祈り申し上げます。