以前、管理職向けのノウハウ本かなんかで、
『部下がノルマ達成した時、その成果を褒めてはならない。彼の努力を褒めよ』
という記事を読んだ記憶があります。

つい先日、Facebookで、
『「ほめて育てる」とよく言うが、「頭がいい」と褒めるのと「頑張ったね」と褒めるのとでは、全然ちがう結果になるそうだ。努力を褒められた子は次々にチャレンジするが、知性を褒められた子は失敗を恐れるようになるという』
という書き込みを目にして、子供も大人も同じなんだなと、ふと昔の記憶を思い出しました。

その方(某白蓮会館の関係者ですが)の書き込みはここまでで、もう少し調べてみたくなってネットで検索を掛けたら、それはそれは実におもしろいデータが見つかりました。


以下引用

『(前略)ドゥエック氏の(中略)研究では、5年生400人あまりに、言語を用いない比較的やさしいパズルを課題として与えた。

テスト終了後、研究者たちは生徒たちに点数を伝え、簡潔な言葉でほめた。

半分の生徒には彼らの『知性』をほめた(「あなたは頭がいいんだね」)。
残りの半分には彼らの『努力』をほめた(「一生懸命やったね」)。

ドゥエック氏は最初、このほめ方の違いが大きな違いを生み出すとは考えていなかった。しょせん言葉にすぎないからだ。しかし実験の結果、5年生に与えられたほめ言葉に劇的な影響力があることがわかった。

まずは、最初の生徒たちにまた別のテストを2種類与え、生徒たち自身にどちらか好きなほうを選ばせた。

ひとつは最初のものより難しいパズルだが、やればとても勉強になると説明された。
もうひとつは、最初のものと同様の簡単なテストだ。

努力をほめられた子どもたちは、90%近くが、難しいほうのパズルを選択した。
一方、賢さをほめられた子どもたちは、ほとんどが簡単なほうのテストを選んだ。


ドゥエック氏によると、知性をほめられた子どもは、自分を賢く「見せる」ことに気持ちを向けるようになり、間違いをおかすリスクをとれなくなるのだと説明している。


次に、もっと難度の高いテストが与えられた(5年生に対して8年生向けのテストが与えられた)。

賢さをほめられた生徒たちはすぐ挫折してしまったが、努力をほめられた生徒たちは、このテストに熱心に取り組んだ。

そして、このテストを受けた後で、両群の生徒たちは、成績が自分より低かった生徒と高かった生徒のうち、どちらかのテスト用紙を見る選択肢を与えられた。

賢さをほめられた生徒たちは、ほぼ全員が、自分よりテストの出来が悪かった生徒と自分を比較することで、自尊心を強化するほうを選んだ。
これに対し、努力をほめられた生徒たちは、自分より成績のよかったテストを見るほうを選ぶ確率が高かった。彼らは失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したいと思ったのだ。


最後に、最初のテストと同様の難易度であるテストが行われた。

努力をほめられた生徒たちは、テスト結果が有意に上昇し、平均スコアが30%伸びた。
彼らは、たとえ最初は失敗しても挑戦することを望んだので、より高い成績を得たのだ。
この結果をさらに際立たせるのが、最初にランダムに「賢い」グループとされた生徒たちのスコアだ。
こちらは前回から20%近くも低下した。失敗の経験でやる気をくじかれた「賢い」生徒たちは、実際に退歩してしまったのだ。


生徒の「賢さ」をほめることの問題は、教育というものの心理学的なリアリティを誤った形で示すことにある。それは、「間違いから学ぶ」という最も有益な学習活動を避けさせてしまう。

間違いをおかすことで生じる不愉快な反応を経験しない限り、われわれの脳が既存のモデルを修正することはない。
いつまでも同じ間違いをおかし、自信を傷つけないために、自らを成長させる機会を逃し続けるのだ。

サミュエル・ベケットは適切にもこう言っていた。
「試してみたら失敗した。それがどうしたというのだ。もう一度試せ。もう一度失敗し、よりよく失敗するのだ」。』(引用終わり)

出典 「より速く適切に学べる人」:その理由



これは実に興味深い。
先天的な『賢さ』『才能』を、空手の場合『強さ』『結果』と置き換えても同様の事がいえるのではないでしょうか。

わたくしが以前目にした本は、ビジネスシーンで部下の『ノルマを達成した』ことだけを評価すると、その部下は次第にノルマ達成のためには手段を選ばなくなり、いわゆるルール違反を犯してまでも結果だけを追い求めるようになる、さらにノルマ達成が絶望的になれば、8割達成、9割達成、という考え方をすっとばして無断欠勤、突然の辞職などの極端なゼロサム思考に陥りやすいというような内容でした。

『成績優秀な子は精神的に打たれ弱い』
という妙な一般論がありますが、それはおそらく彼がそれまで成績優秀で挫折を知らない人生を送ってきたからではなく、幼少の頃から、あなたは優等生なのよ、との周囲のプレッシャーに応えるべく、幼いなりに懸命に優等生を演じてきた結果、演じきれなくなった時の絶望感が大きいのでしょう。

ということは、結果をしたたか褒めるという行為は、裏返せば実は強烈な脅迫をしている事なのかもしれません。

『勝ててよかったね。勝ててよかったね』。

ああ、確かに勝ててよかった。
もし負けてたら、親は負けた自分をこんなにも愛してくれるだろうか。
ひょっとしたら捨てられるのではないか。

事実、実戦空手の試合会場に行けば、先生が負けた選手を怒鳴りつけ、さらに親がその子を殴っている姿を、誰でも目にすることができます。

勝てば愛される。
負ければ愛されない(それどころか殴られる)。

立派な脅迫ですね。


そういえば、九州の年少部空手でトップクラスの実力を誇る、皆様もよくご存知の某流派は、道場生がどんな負け方をしても、先生も親も絶対に選手を温かく拍手で迎えます。だれも怒っている所を見た事がない。

もちろん彼らの強さの秘密は、練習方法その他にも隠されているのかもしれません。
しかし、間違いなく彼らはのびのびと楽しくやっている。

わたくしが思うに、指導者と親という、子供達にとっての絶対的存在である両者が、たとえ結果がどうであれ、自分を完全肯定してくれる安心感は、何にも代え難い。


そんな選手は、折れない。

折れない限り、必ず栄光はある。

絶対的な安心感の中で戦えるって、そりゃ強いさ。


人間は社会に承認されたいという強い欲求があります。
スポーツにしろ、勉強にしろ、勝てない限り、結果を出さない限り、自己の承認の欲求が満たされないと解ってしまったフィールドには、もはやなんの魅力もない。

才能のある子が、ある日突然にして競技そのものから離れてしまうことは頻繁にあります。

『あんなに才能あるのに辞めるなんてもったいない』
などとと人は言いますが、彼にとっては、そんな自分が周りの期待通りに演じきれなくなったからこそ、居場所を失ってしまったのでしょう。


だから。

我が子の頑張っている姿勢を評価してやってください。
そうすれば、空手だけにとどまらず、何でもできる。



各種祈祷・修法・加持/水子・追善・施餓鬼・永代供養/葬儀・墓地購入/日蓮宗『勝嚴寺』佐賀県小城市
干支九星気学・九識霊断法/過去因縁・未来鑑定/佐賀県小城市の日蓮宗寺院『勝嚴寺』

佐賀・唐津・福岡・大分別府・熊本天草の実戦空手道場『白蓮会館』
佐賀・唐津・福岡で子供に空手を習わせるなら『白蓮会館』

新築住宅を15万円で安心サポート
佐賀で注文住宅を建てるなら住宅CMサービス佐賀

家を新築する時の悩み・工務店選びから住宅ローンまで全て解決
住宅CMサービス佐賀

(株)スメトコプロモーション 企画営業部

大野 英章のFacebookページ
【 大野 英章の“昼夜常精進”】