わたくしは佛教系の大学で学んだ経験もありません。
はっきり言って素人です。

ただ、僧侶としての立場で(もちろんその立場からでも批判はありましょうが)佛
について少しお話しします。
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佛とは、悟った人です。

佛はもともと普通の人であった。

普通の人が悟ったから、その時から『佛』になります。

なので、佛は一人ではない。
過去に悟りを得た人(佛)はたくさん存在します。

もちろんわたくしも悟れば佛です。
いつかわたくしも佛になります。
誰でも佛になれます。

佛教は、他の宗教と決定的に違うところがあります。

それは、佛教だけが礼拝の対象物(本尊)に対して
『わたしも神になりたい』
『わたしを神にしてください』
と祈るところです。

お正月、多くの方が神社に初詣に行きます。

テレビなどで
『どんなお願い事をしましたか?』
というアンケートとかありますね。

まさか
『わたしを神にしてください』
という願いを掛けた人はおるまい。

キリスト教の教会で出口調査してみても、
『わたしも神になりたい』
と祈った人はいないでしょう。


ところが、佛教寺院での正しい祈りは
『わたしも佛になりたい』。

これが許されるのが佛教。

というかむしろ、これ以外の願は掛けてはいけないくらいです。


ここが他の宗教と佛教が違うところ。


でも実際、寺で祈ってるだけでは佛には成れません。

もちろん、『チャンピオンになりたい』という強い憧れがない人が絶対に頂点に立てないのと同じように、祈りなき佛道にもゴールはない。

とにかくまず、祈らなければならない。
『わたしも佛になりたい』と。
これが第一です。


次に、佛になるためには『実践』が必要です。

それは、憧れだけでは空手が強くなれないのと同じです。

ビデオを観るだけじゃダメ。
とにかく練習せな。
とにかく反復せな。


ところが残念ながら、現在の日本佛教には、祈りはそこそこあるが、あまり実践がない


と書いたばかりで恐縮ですが、残念ながら現在の日本佛教には、実はあまり祈りもありません。

西洋のジョークに、博打ばかりやって全く教会に足を運ばない飲んだくれの男に、神父が注意するシーンがあります。

その飲んだくれの男は、神父に反論します。

『あっしが神に不敬ですって?とんでもない!あっしほど神に毎週毎週祈ってるやつぁいませんぜ』

『あっしが100ドル賭けた馬が最終コーナーを曲がる時の祈りの強さなんざ、歴代のどんな偉い法王さまの祈り方よりも強い祈りでさぁ』。

現在の日本佛教に祈りがない、というのはこういう意味です。

お金を払って祈願を入れる人が信仰深いわけではない。
宗教活動に高額なお金をかけることができるかどうかが信仰の深さを測る物差しではない。

自分の欲望を叶えてくれるところなら、よく当たる占い師でも、有名なパワースポットでも、なんだっていいのです。


そりゃ、絶対に欲望を叶えてくれる保証があるなら、お金なんてなんぼでも積めますよ。
その神様が、払ったお金よりも大きな我欲を達成してくれるわけですから。


そういう意味で、本当の祈りは少ない。

本当の祈りは
『わたしも佛になりたい』
以外、あってはならないのです。

一歩譲って、
『わたしが佛になるために必要と思われる懸案の成就』
だけが許されるのです。

それが佛道に於ける『実践修行』となります。



つづけ。




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