今回の【 勝嚴寺大學 】で思ったのは
『過剰な具体化は退化なのではないか』
ということです。

ここで言う退化とは
『佛から遠ざかった』
という意味です。
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『ねぇ。キミの話は要領を得ない。もうちょっと具体的に頼むよ』
と言われることはあっても、普通その逆はない。

『もっと抽象的に言え』
なんてことを要求されることなんて、この社会ではほとんどない。

われわれの社会は、物事をより具体的に変換していくという作業を、ひたすら善だと信じて、人類を総動員してやってきたのです。

そうやって、ありとあらゆるものを際限なく具体化していった究極の姿が、現代の社会なのではないか。

具体化し過ぎると、他者との関連性がわからなくなります。
そうして枝葉だけを見つめていった結果、バラバラになった世界こそがまさに佛教でいうところの煩悩界。

自己と他者を区別する心・いわゆる『自我』が支配する世界です。


先日、極めて興味深いネット記事をたまたま読みました。

【 覚りの定義 】
『『悟り』とは、人間が生まれ、全体意識から自らを切り離して『自我』を確立した後に、『自我』を持ったまま、再度全体意識を理解する、というプロセスのことだと言えます』。

これには一本取られた。

『自我』とは非常に厄介なもので、極端に言うと、人間の全ての苦しみは『自我』があるからこそ存在するものであって、もし自我がなくなれば全て解決できるのではないかと思えるほどです。

『自我』とは、自分と自分以外を分ける心の作用。

自分という範囲で括られた個体の利益を求める力。

その自我同士がぶつかり合って、適当なところで妥協して、それぞれがそれなりに満足と不満足を持ちながら存在しているのが人間界です。


『初めに言葉ありき』。


神は、初めに人間に言語と論理性をちゃんと与えていた。
やがて人間はその言語と論理性で、地上の生物の頂点に立った。

しばらくして神は、人間の慢心による行為に怒り、言語からその命である論理性を奪った。

次第に人間は神から離れ、具体化された世界を追い求め、自我を肥大させ、全体の調和を見失い、戦争や貧困に満ちた現在に至る。

いま、人類は言語獲得以来最大の転換期を迎えたのかも知れません。


つづく




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