昨日の白蓮会館佐賀道場の稽古は、なぜかわたくしのテンションが異様に高く、準備運動、基本稽古の直後に、スクワット中心の補強メニューからけっこうな数のミットの打ち込みをやりました。

そしたら、高校受験でしばらく練習をおやすみしていた赤司拳士(15)、ブランクから明けて復活3日目だったため、軽いチアノーゼになって、途中で稽古を抜け、道場の隅の方で横になって休んでいました。

あまり気にしていなかったのですが、なかなか復活しないもんだから、心配して本人を見るとお茶しか飲んでない。
熱射病は塩分の摂取で症状が緩和すると言いますので、なにかスポーツドリンクをと思ったら、こんな時に限って道場の冷蔵庫には栄養ドリンクしかない。
まぁ、いいやと思って、その栄養ドリンクを本人に飲ませました。
しばらくして稽古が終わる頃にはすっかり回復していました。

掃除が終わり、自主トレを始める組、おしゃべりをする組、帰宅する組とバラバラになります。
わたくしは、もちろんおしゃべりの組でくっちゃべっているのですが、先ほどの赤司拳士、見ると手に100円玉を持ってわたくしの方に来て
『押忍。さっきの、せめてものお礼です』
といって、100円玉を差し出してきます。

ちょっと笑いました。

そんなお金なんていいわい!と固辞しましたが、ふと思うところがあって、やっぱり受け取ることにしました。


おそらくこれは、彼なりのプライドなのだ。

大人になってみると、100円の貸し借りなんてしなくなった。

しかし、中学生当時のわたくしにとって、100円はけっこうな財産だった。
そんな100円を持って、勇気を持って、自分の父親ほどの年齢の師匠に、お礼です、受け取ってくださいという。

おそらく、悩みに悩んで決意した行動なのだろう。

これは本来の意義からすると、これこそが六波羅蜜の布施行なのではないか。





昔、仲の良かった友達(故人)の経営するバーでの話。

なんかの大人の団体に、ころっと判る未成年がいたそうな。
確か、メンバーの誰かの従兄弟とかそんな感じの。
もちろん、彼はこういう店は初めてで、オーナーは彼を質問攻めでいじり倒します。

支払いの際に、割り勘すると1人あたり3000円くらいになったのだが、オーナーはその未成年の分の飲み代は要らないと言ったそうな。

ところがその未成年、持ち金(小銭・しかも600円程度)を全部カウンターの上に出して、
『プライド料。』
と顔を真っ赤にして言ったそうな。

オーナーは彼の行動にいたく心を打たれ、
『よし!じゃあいただきます!ありがとうございました!』
と言って深々と頭を下げて、店の外まで見送った、という話。

お金にはいろんな側面があるが、額にかかわらず、受け取る、受け取らない、支払う、支払わない、いずれかの行動によって、その人の人生の価値観、礼儀や尊厳をも表現する場面があるもんだ。

累進課税は社会の常識。
ロイヤルデューティは金持ちたる者の心意気です。

しかし、布施行は持たざる人にしてもらわなければならないもの。

社会の物差しからすれば逆の価値観ですが、佛の道においては、これこそ尊い行いだったのだろう。


だから、わたくしもその100円玉を受け取りました。

断るのは簡単だけれども、わたくしがこの100円玉を受け取ることにより、彼の人生はより良いものとなる。


そして帰りに、その100円硬貨を使ってうどんを食べました。
そして、今日またその100円玉は、また誰かの所有物となり、社会を潤しながら永遠に循環していくのでしょう。
2014-02-07-21-38-55