前回に引き続き、実際に病名を授与された普通の人が、どのように変貌を遂げていくのか考えていきたいと思います。
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知り合いの職場に、まあ、ちょっと口八丁なオバさまがいらっしゃって、その方が体調不良で仕事をお休みになられた。

病院に行くと、なんらかの病名を頂戴するわけですが、そのオバさまが賜った病名は【 熱中症 】。

それはそれでいいのですが。

翌日かその次か、職場に復帰した彼女の振りかざす【 熱中症 】の称号の猛威は、それはそれは、とどまることを知らなかったらしい。

ことあるごとに

『昨日までわたしは熱中症だったのに!』

『あの日のわたしは熱中症を押して頑張ってたのに!』

『こんなんだからわたしは熱中症になったとよ!』

『あなた達は熱中症がどれだけつらいか知らんでしょうもん!』

てな感じで。


人間、権威ある者から
『あなたはこうだ』
と言われたら、こうも簡単に自己を変革させることができるものなのか。



じゃあ逆に、
『あなたは風邪をひかない人なの』
と言えば、風邪をひきにくくなるのだろうか。

果ては
『あなたは将来、東大に進学できるはず』
などと言い続けながら子育てをすれば、子供は勝手に東大に合格するぐらいの学力を身につけてしまうのだろうか。

空手の先生が年少部の子供に
『あなたたちは高校生になった時には、おそらく全日本選手権でみんな活躍しているでしょうから』
と指導中に言い続ければ、みんな勝手にそう暗示をかけて、高校生になる頃にはみんな全日本に出場して活躍するようになるのだろう。


まるでこれは魔法じゃないか。


そういえば。

法華経の前半は、方便品第二から勧持品第十三まで、前半のほとんどが授記(将来あなたは佛になれますよとの約束)に割かれているわけですが、これがまた長い。

この二〜四の巻というのは授記の繰り返しがほとんどで、一部經読誦の胸のつかえどころです。
ここが過ぎれば場面展開も早くなり楽しく読めるのですが、おそらく誰もがこの辺は苦手なところでしょう。

なぜにここまで冗長な繰り返しの章が必要なのか。

おそらく、自分にかけられている魔法を解くためではなかろうか。

この魔法とはどんなものかと言えば、権威ある何者かに
『はい。あなたは業が深いから、今生はもちろん、次の人生も不幸です』
という診断を下され、その診断をまるで本当のことだと信じて暮らしている。

この魔法はそうとう頑固で、自分も、家族も、近所の人も、それどころか出会う人すべてが同じ魔法にかかっているので、これは魔法だよと教えてくれる人がいない。


だからこそ法華経においては、いちいちそこにいる全員に
『だいじょうぶ。だいじょうぶだから。あなたも佛になれるから』
と保証してやらなければならない。


かけられた魔法の効力が薄い人なら
『ここにいる皆さん全員が佛になれます。はい次』
でいいのでしょうが、釈尊はそうなさらず、一人ずつ、一階層ずつ、手間ヒマかけて全員に授記をなさった。

きっと、この行程は省略できないんですよ。
『あなたは将来、◯◯という佛になるんですよ。で、そこのあなたは将来、◇◇という佛になるんですよ』
と、いちいち約束していかないと、全員の魔法は解けない。

魔法は簡単にかかるのにねぇ。
魔法を解くのは大変だ。

この、悪い効果をもたらす魔法を俗に
『呪い』
というのだろう。

ここを疑ったままでは、実は佛道は一歩も進まない。

だから最初に授記なんです。
佛になれる確信から始まる。

『信仰心ってなに?』
と言われれば、とにかく神様は存在する!などと言い張ることではなく、自分は将来、必ず無限の不幸の循環から脱出できるはず!という確信ではないか。

世の中には悪い魔法があふれていて、すぐに
『あなたは病気だ』
と診断してくれる。

『おれは病気じゃない』
と言い張る人は、社会的には病人じゃない。

病気じゃないから、会社は休めません。
診断書がないから、会社から有給休暇はもらえません。

でも、いいじゃないですか。

あなたは病人じゃないんだから。


明日は、白蓮会館主催 全日本ジュニア空手道選手権大会です。
みんな将来、チャンピオンになれます。
だから諦めるなかれ。負けても腐ることなかれ。