議論され尽くした感もありますが、スポーツと武道の違いとは何か。
折に触れ、考えさせられます。

特に今般のコロナ騒動で、そもそもの道場の在り方など、普通なら考えも及ばないようなことまで、いろんなことを考え、自問自答してきました。


武道とスポーツの違い。

よく言われる違いに礼儀があります。
『武道は、礼に始まり、礼に終わる』。

しかしおそらくそうではない。

礼儀で言うならば、テニスの礼節の厳しさなんて、そのへんの武道と言われる競技と比べて全く劣るところはない。
『スポーツをやってたから挨拶じょうずね』
という会話はどこかしこで耳にします。
どんなスポーツも、礼儀、挨拶はしっかりしてます。
ほとんどのスポーツが礼に始まり礼に終わる。
礼儀・挨拶なんて武道だけの専売特許じゃないのです。

また、スポーツを通して社会の縦関係も学びます。
当然ながら、いわゆる『体育会系』は武道だけに限りません。
『目上の人に対して敬意を持つ』
これも全てのスポーツ(ひょっとするとこれは国内だけかも?)に共通します。


わたくしが考えるに、武道とスポーツの違いは、試合で勝つことを目的としているかどうかではないかと思うのです。

スポーツは、まず競技があり、そこにはルールがあり、その中で自己を表現することが大事であり、そのルールの範疇にないことに力を入れるのは好まれない。

逆に、武道に限らず道と付くものは、試合に勝つことは目的成就の手段のひとつであり、それを最終的な道の終点にしない。

例えば、フルコンタクト空手の大会では手技による顔面攻撃は禁止されている。
だからといって基本稽古は必ず正拳上段突きからスタートし、しかも基本の突き技のほとんどは顔面を狙うものばかりです。
さらに、逆技もある。型もある。

こうやって我々は試合にない技術修得に時間をかける。


はっきり言って非効率です。


でもそれが武道。
なぜか。
試合が目的ではないからです。
目的は結果を出すことではなく、そこに至る道に於いて、どのような精進をしてきたのかが大事で、歩みそのものが目的です。


もしボクシングジムでサンドバッグを蹴ったら、ジムの方は良い顔をしないでしょう。
『おい!ウチのサンドバッグは蹴るもんじゃない!どうしても蹴りたいなら空手かキックのジムに行け』
と怒られると思います。

空手の道場で、先生に
『相手が複数だったらどう戦うんですか』
『相手が刃物を持ってたらどう対処すればいいんですか』
みたいなことを質問してみてください。

きっと空手の先生なら
『そんなつまらんこと考えなくていい!それより試合に勝つためのことを考えろ』
などと言わず、どう戦えばいいか教えてくれるはずです。
これは日本全国、どの空手道場の先生でも同じだと信じております。
よしんば先生がその質問の答えを用意してなかったとしても、
『え?そーだねぇ。オレならどう戦おうかなぁ』
などと、きっと一緒になって答えを考えてくれるはずです。

空手家なら、常に試合と関係のないところを意識しているのです。

これは別にスポーツが劣っているとかの話ではない。
武道とスポーツというのはそもそもスタート地点が違うのだが、武道のとある部分が、途中でたまたまスポーツとリンクしているだけのことだと思うのです。

だからボクサーにも武道家は間違いなくいますし、逆に空手道場にも空手をスポーツだと割り切ってやっている人もいる。


白蓮会館の場合、
『健康増進・護身練胆・精神修養』
を三徳として、この3つを空手の目的としています。
いわば企業理念です。
ここには試合に勝つということは含まれない。
試合は、その途中に至る道に待ち構える目標のひとつです。

試合に出るということは、段階的に設定する目標としては、他のどのようなものより有効なものだと思います。

今回のコロナ騒動で、空手の大会が続々と中止となっています。
練習もできなかったが、大会がないから面白くないという理由で空手を離れた人の話をよく聞きます。

大会がないのは確かに残念なことですが、全体の精進の中で、試合というものは数ある段階目標のうちのひとつであり、そのひとつが何らかの理由でなくなったとしても、それで道の歩みを止めるのは武道ではない。

幸いにして、白蓮会館九州本部の道場生は、誰ひとりとして退会することなく、以前と同じように精進を続けてくださってます。

より遠くを見定めて、目先の流行に左右されることなく、不染世間法 如蓮華在水、これからも白蓮の花のように共に精進していきましょう。


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白蓮会館佐賀道場、6月23日に床をこれまでのブルーのジョイントマットから、わさび色の柔道畳に敷き替え、20年の見慣れた道場の景色が大きく変化しました。

今年は復活組が多く、毎週感激してばかり。
またそんなメンバーも改めてご紹介します。