ベルギーに住んでいた義妹(35)が亡くなりました。
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それは記録的な大型台風10号が上陸しようとする日曜日の朝のことでした。
すぐにでも駆け付けようかとしましたが、いかんせん台風の影響で2日間航空便は欠航。
新型ウイルスの影響で航空便そのものが少ない時期でもあり、出発できたのは火曜日の午後でした。

家族の中で誰がベルギーに行くかも問題でした。
しかしパスポートを持っているのが我々夫婦と子供のみ。義弟夫婦も連れて行きたかったのですが、急いで申請したところで2週間近くかかります。
嫁が1人で行くことも考えましたが、結局3人で行くことにしました。

結果的には3人で行って良かったと思います。
移動に要した時間は30時間。
嫁はとにかく動転しておりましたが、その間、子供が一緒にいたからこそ、その世話をすることでだいぶ気が紛れたようでした。

それ以前に出国の手続きの煩雑だったことと言ったら。
まるで新規で会社法人を立ち上げてるのかと思えるくらい提出書類が多かった。

こんなご時世ですから、普通は入国制限がかかります。しかし、両国大使館の計らいで今回はessential travel(必要欠くべからざる重要な旅行)と認めていただき、その分なにかと移動中は有利な配慮があったようでした。

わたくしは僧侶ですから、どうしても人の死に立ち会う機会が多いわけですが、ほとんどの場合その覚悟ができている方ばかりで、若くして突然家族を失った方に寄り添う経験は少ない。

生まれてきた以上、誰しも例外なく死を迎える。
それはもちろん頭では理解しているつもりです。
わたくしも50年近く生きてますので、それなりに身近な人も送ってきた経験もあります。
しかし、こんな身近で、しかも突然の別れは経験がなかった。わたくしより、義妹の夫をはじめ、妻の家族はもっと近い。

この死は、いったいどんな意味があるのだろう。
義妹は今どこにいるのだろう。
これからどこに向かうのだろう。
極めて短時間に、何回も何回も自分に問いかけます。

その答えがわからないから、いろんな人の意見を聞きたい。
同じような経験をした人のブログやYouTubeを貪るように見ます。

自発的に答えを探して回る。
真剣に疑問を持ったわけです。
おそらく全ての道において、問いを待つということにとにかく意味がある。

死んだ人の声が聞こえると言う人がいます。
そんな人が、こちらが聞いてもいないのに
『妹さんは寂しいと言ってますよ』
『妹さんはもう生まれ変わってますよ』
『妹さんは心配いらないとおっしゃってますよ』
と、各人がそれぞれ全く別々の答えをわざわざ教えてくださいます。

問いを待つよりも前に、
『さぁ!これが正解なのです』
などと、さも一見正しそうな答えを押し付けられても、いくらそれが正しかろうが、求めていない答えを飲み込むのはしんどい。

宗教とは、そんな問いかけにひとつの解答を提示する。
それが納得いくものであれば、ようやくそれを飲み込むことができる。
やはり宗教の役割とは、抜苦与楽、死の恐怖に対する安心を与えることに尽きると痛感しました。

妹はもう1人の自分であり、それと同時に自分はもう1人の妹であり、自分が存在している以上、妹も存在し続け、またそれは全てに繋がり、全ては見えない繋がりの中で永遠に存在する。

僧侶は法要が始まると最初に仏天を勧請(この場所にお呼びする)しますが、その場所はどこか。
それはまさに己心(自分の中)に他ならず、勧請することによって自分自身が仏となり、神となり、故人となって、自分の物質的な身体を使って法要を修する。

一言で書くとあっけなくまとめられますが、この死を受け入れるまで、幾千、幾万もの自己問答を経て、ようやく受容できたわけです。その3日間は、日常生活の3日間とは、時間の過ぎる速さも、密度も、全く異質なものでした。


令和2年10月4日(日)14:00〜勝嚴寺にて
義妹・小原紗英子の葬儀告別式を行います。
お時間のある方はどうぞ御弔問くださいますよう謹んでご案内申し上げます。


※おまけ
『ベルギーにてアイスクリームを買ってもらった』